菜食歴は長い。40年ぐらいになるかな。昔はマクロビオティックと言っても菜食の人にしか通じなかったので、一般的には「玄米菜食」と言うことが多かったと思う。
西荻窪の「ほびっと村」や今はベジタリアン文化研究家としてすっかり有名になった鶴田静さんがやっていた「たべものや」なんかによく通っていた。
その頃の菜食と言ったら本当に粗食だった。玄米に味噌汁、大豆ハンバーグに漬物ぐらい。今みたいにマクロビスウィーツなんておしゃれなものはなかった。
あとグルテンバーガーとかグルテンミートをよく食べていた。今はすっかりグルテンフリーが主流になったのに、あの頃はグルテンミートが体にいいと信じて疑わなかったんだから、今になってあれはなんだったんだろうと思う。マクロビの本にも「グルテンは栄養の塊」と書いてあったはずだ。
時代とともに菜食の流れも変わってきて、マクロビオティックが逆輸入されマクロビとして定着し、ローフードの流行、フルタリアンや不食の人も出てきて、今はヴィーガンが菜食のキーワードとして地位を確立しつつあるように思う。
ヴィーガンは何年か前に「革靴や革バック、ベルト、毛皮、羊毛も着用しない。動物実験を経た化粧品や薬も使用しない人たち」と読んだことがあったので、自分は卵も食べないし、牛乳も飲まないから結構ヴィーガンに近いと思ったけど、革靴は履いてるし、セーターも着たいからやっぱりそこまでじゃないや、と思った。
最近は言葉のほうが独り歩きしているようで「ヴィーガンスウィーツ」「ヴィーガンレストラン」など、食べ物に特化して使われているような気がして、私もブログ名に気軽に使ってしまった。
ところが「ビーガンという生き方"」(マーク・ホーソン)という本を読んで、ガツンとやられてしまった。そこにはビーガン=脱搾取派と訳され、社会運動としてのビーガンについて書かれていたからだ。
すごく感情を揺さぶられて、家の中の革靴や革バック、セーターがどれくらいあるのか引っ張り出してきて、愕然としてしまった。
やっぱり私みたいなお気楽なヴィーガンはダメなのかな、単に菜食のことではないのかなと思い調べてみると、こんな分類があるらしい。
①ダイエタリー・ヴィーガン(健康)
②エンバイロメンタル・ヴィーガン(環境)
③エシカル・ヴィーガン(動物)
簡単に言うとヴィーガンになった理由が①は「動物性は体に良くない」②は「畜産は環境に悪い」③は「動物がかわいそう」ということになるらしい。
一般的に物事は、定義したり、分類したり、名前をつけたりしないと語ることが難しい。キーワードとして注目が集まることで、その裏にある考え方が広まりやすくなったりもする。
しかし、自分のことを語る場合にはそのようなネーミングが逆に誤解を招くことがあるから、やっかいでもある。「私はダイエタリー・ヴィーガンです」と言ったら、「ああ、あなたはあなたの健康のためにお肉は食べないけど、革靴は履きたいという人ね」と思われてしまうのか。
私はそんなに単純じゃなーいと叫びたくなる。そもそも「私は〇〇です」と自分のことを定義づけて語る必要もないけど。
ヴィーガンという言葉がこの先どのように広がっていくのか気になるし、菜食の人がもっと生きやすくなったらいいなと思う。少なくとも私が菜食で今まで来た道は「変わってる人」「付き合いにくい人」と思われるという、結構生きづらい道だったから。