ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

この靴を本当に捨てられるのか?

物事を真正面から語るのが苦手だ。テレがあって少し斜に構えたり、大事なことを軽く装って言ってしまったりする。長年自己主張せずに生きてきたからか。

 

でもここではできるだけ正直に自分の思いを語ろうと思う。

 

「ビーガンという生き方」を読んで、「ビーガン=脱搾取派」という言葉が頭から離れない。もう革靴は買わない、そんな気持ちになっている。

 

retoriro.hateblo.jp

 

じゃあ目の前にある革靴はどうするんだ?

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家の中にある靴を集めてみたら結構あった

全部捨てるのか?

 

現実的にそんなもったいない事ができるのか、、それで何かが変わるのか?

「思い切ったことをやらないと何も変わらない」

       VS

「小さなことを一つ一つ無理なくやっていけばいいんだ」

 

2つの考えを行ったり来たり。これから買わないということで、何とか自分の気持ちと折り合いをつけようか、、、。

 

先日趣味のヨガサークルで会食があった。バイキングスタイルだったから、食事は問題なし。サラダや豆腐、雑穀粥などを美味しくいただいた。他の人たちはやっぱり、お肉、肉、肉、、。豚しゃぶやチキン、豚骨ラーメンまで。もちろんそこで私に何か言う権利もないし、言ってはいけない。何を食べるかはその人その人の自由、生きる尊厳に関わる問題だ。

 

ただヨーロッパ旅行の話になった時、革製品のことで話が盛り上がったのだ。


「あっちは革製品がいいからねぇ」
「いいバックほしいなぁ」

その時に私が感じた違和感、、、。革製品を断とうかと考えていた矢先だったから、一瞬でみんなと距離ができてしまった。私の心の中でみんなとの間にシャッターが下りた。

 

ヴィーガンであることは食事の面だけでも人との付き合いが大変だけど、ヴィーガンという考え方、生き方に近づけば近づくほど、ますます人との間に距離ができてしまう。

 

もちろん彼女たちはみんないい人だし、今までの付き合いもある。私にとっては長年一緒にヨガをしてきた大切な仲間だ。ただ「革のバックがほしい」と聞いただけで、私の方から何か本質的に違うのかも、もうみんなとは本音で付き合えなくなってしまうのかなと、寂しさを感じてしまった。

 

価値観を共にする人たちとつながりたいと思うのは自然なこと。では、価値観の違う人たちとの付き合いをどうするのか。

 

ヴィーガンという生き方を本気で選ぶなら、それなりの覚悟が必要なのかと思った。