皆さんはよく眠れていますか?
何年か前から、四六時中変な音が聞こえるようになった。
昼間、家事が一段落し本を読もうとすると、ブーンブーンと低い音がずっと聞こえる。夜、寝ようとすると、またブーンブーンと地面から響くような低い音が聞こえる。
それはそれは不快な音で、聞こえるか聞こえないかぐらいの音量なのだが、耳にまとわりつくような、耳のそばで共鳴するような低い振動音が、なにしろ止まることなく24時間聞こえてくるのだ。
室外機のようにはっきりと聞こえる音なら、生活音としてお互い様だから我慢できるが、この音はなんせ不快すぎる。
一体なんの音だろうとずっと悩まされていたが、ある朝新聞を見て
「これだ!」と確信した。
エネファーム / エコウィル
(申し訳ありませんが、使っている方には不愉快な話になるかもしれません。物事には常に二面性があるという話なので、スルーしていただくか、ご理解いただければ幸いです。)
記事によると、近所のエネファームの騒音で睡眠障害、めまい、自律神経失調症を患うなどの健康被害が出ているという。「エネファーム騒音被害」で調べてみると出てくる出てくる、エネファーム / エコウィル / エコキュートの騒音被害。苦しんでいる人たちが大勢いる。全国で裁判も起きているらしい。
まさに、これだ。これなのだ。私を苦しめている音の正体は。
音というより、低周波音
この低周波音は「沈黙の騒音」と呼ばれ、慣れるということはない。
振動が地面を通して音とともに伝わってくるので、防音装置などは全く意味をなさないという。エネファームの装置そのものを撤去する以外に方法はない。
エネファーム / エコウィル・・家庭用ガス発電システム
エコキュート・・・・・・・・家庭用ヒートポンプ給湯機
そして、昼間ももちろん稼働しているのだが、むしろ節約のため「夜に電気を作って昼に使う」「夜にお湯を作っておく」ということらしく、つまり電気代の安い夜中ずっと機械がフル稼働しているわけだ。
これはもう本当に地獄だ。体験した人にしかわからないと思う。四六時中ずっと休みなく低周波音が聞こえてくる。引っ越さない限り、安らかな睡眠がもう完全に奪われてしまったのだから。
私も一時期はめまい、不眠に深刻に悩まされた。ノイローゼ気味になり、昼間仕事中も「今日は果たして夜眠れるだろうか」という不安が度々よぎるようになった。
低周波音との闘い・・・意識的に低周波音をシャットダウンする耳のトレーニング
(そんなことが可能なのか?可能かもしれない。人間は無意識的に辛い過去に蓋をして記憶を消すらしい。不快な音は自ら聞かないという能力が発達するかも)
うちの場合は、隣、裏、斜め隣、の三軒がエネファーム / エコキュートだ。同じ町内のご近所でずっと暮らしているのに、どうして苦情など言えようか。ましてや裁判など起こせるはずもない。エネファーム等はテレビなどでも電気代が節約できると盛んに宣伝している。近所の人たちも高い初期投資をして、よかれと思って取り付けたのだろうから、私が我慢する以外に方法はない。
それでも悔しくなる。もう一生この不快な低周波音から逃がれることはできないのかと。
諦めとともに、少しでも眠れる方法を模索した。
"ソルフェジオ周波数"
癒しの音楽として知られる聖ヨハネの讃美歌"グレゴリオ聖歌"に用いられていたという音階でもあり、人の心と体を癒す効果があるという"ソルフェジオ周波数"。その中で最も基本である癒しの周波数が528Hzだそうだ。(CDの解説より)
ソルフェジオ528HzのCDを買い集め、リピートセットして寝ることにした。寝る前はすごく癒されるのだが、でもそれはそれで、音楽をずっと聴きながら寝るというのもけっこう辛い。よけいに覚醒してしまう場合もある。波や風、鳥の声のCDも聴いたが、自然の音や声をCDで聴くというのも、なんか違う気がして、、。最近はクリスタルボウルのCDをかけて寝ている。それでもクリスタルボウルの響きの裏でエネファームの低周波音が重なって聞こえてくる。本当に参ってしまう。
寝る前の一時間はもう、眠るための儀式のようになってしまった。ヨガをして、アロマを炊いて、ハーブティーを飲んで、528HzのCDをかけて、、、それで眠れればよいのだが、、。
そんな中でも救われる日がある。
雨だ。
雨が降る日はよく眠れる。雨が低周波音を消してくれるから。
やっぱり自然にかなうものなし。人間は自然の一部なのだから。雨とともに自分が大地に帰り、宇宙に包まれていつの間にか眠れている。感謝感謝。
一体いつからこんな世の中になってしまったのか。普通に暮らす。普通に眠るのも一苦労だ。誰かにとって便利なことが、誰かにとって苦しみの種になることもある。そう考えると果たして自分はどうだろうか。私が何も考えずに手軽に食べているものも、どこかの誰かの過酷な労働や搾取の上に成り立っているのかもしれない。
人間にとって便利なことは、いったい誰の苦しみになっているのだろうか。人間が便利な生活を望んだ代償は人間が背負うしかないのだろう。