ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

ミニマルのなかに限りない哲学が

韓国でテンプルステイ

もう2年前のことになるが、韓国釜山のお寺に泊まるという体験をした。たまたま夫が釜山に出張することになり、ついて行ったのだが、どうせ行くなら何か思い切った体験をしたいと思い、外国人を受け入れている " テンプルステイ " に参加したのだ。

 

梵魚寺(범어사ポモサ)という伝統的なお寺で、山の上にあるので俗世間をしばし忘れるには絶好のロケーション。空気もいい~。集合時間にドキドキしながら行ってみると、日本人は私一人。意外にも欧米の若者が多かった。早速渡された作務衣に着替えて説明を受ける。スタッフも若いイケメン僧侶も、もうペラペラのバイリンガルで韓国語と英語で説明を受ける。(当然ながら日本語はなし、、、大丈夫かしら私)

 

結論から言うと、" 体験" どころじゃない、かなり本格的な "修行" を受けることになり、朝5時からの座禅瞑想(私は誰~どこから来たのか~と心で延々と唱える)や百八拝(お経に合わせて連続拝礼)、早朝登山等、、、どれも初めての修行体験。

 

一番の修行体験は食事。正直私は韓国の豊かな精進料理が食べられる❣と、超軽い気持ちで寺までのこのこやって来たのですよ。世界中のヴィーガンが食べに来るという人気の韓国ベジ料理。

 

ところが、この寺は違いました。「禅供養」という修行だったのです。

禅供養 

年配のお坊さんが中央に座り、一連の食事の儀式について説明をされる。目の前には持鉢という大きさの違う4つの器が置かれる。ご飯、汁、ナムル、たくあんが用意され、座禅を組みながら、一言も話さずに、音を立てずに感謝していただく。ナムルがあるからビビンバのように混ぜて食べようかと思いきや、まわりを見ると誰もそんな食べ方はしていない。コチュジャンもないし。

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雑誌AIMより

 

食事中なのになんという静寂・・・たくあんを噛む音だけが響き渡る。

 

食事が終わるころに、スタッフがやかんを持ってまわり、ご飯が入っていた大きな器に水が注がれる。

「たくあんを全部食べてしまったのですか?」と聞かれたけど、何のことやら。まわりを見ると私の他にもたくあんのない人がいて、一切れずつ載せてくれた。

 

どうやらたくあんと水で食器と箸を洗うのだ。たくあんを器に擦りつけて食べかすを取る。大きな器から順番に。取れない汚れは更に指で擦り取る。そしてそして、最後にその水、というか食べかすの混じった液体?を飲むのだ。実に無駄がない。

 

こんな大切な一連の儀式に必要なたくあんをぽりぽりと全部食べてしまうとは。恥ずかしい、ああ恥ずかしい。ちゃんと前もって説明があったはずなのに。

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指で器を擦り洗いし、その水は飲みます

この後、各自流しに器を持って行く。次に使う人のために心を込めて丁寧に洗うように言われた。そして最初に用意されていたように、器を重ね、箸をしまい、布に包んで返す。ゴミひとつ出ない。実にシンプル。

 

食事の内容が粗食であればあるほど、お米一粒、汁一口が本当にありがたく感じられるから不思議だ。座禅を組みながらの食事はきつかったけど、無言でいただく食事は食べることそのものに集中し、まさにマインドフルネス。静寂の中にも17人が場を共有しながら、食べるという " 生きる " 営みを一緒に行っているという " 気のつながり " を感じた。国籍も年齢も、バックグラウンドなど何も関係ない。人間はシンプル。

 

翌朝の食事はバイキング形式でこちらは打って変わって自由な雰囲気。大食堂で一般の参拝客たちと一緒に食べる。なんと無料だそうだ。お寺を訪れる人たちに食事を施すという意味があり、誰でも自由に好きなだけ食べられる。ただし、かなり質素ではあるが。ご飯、汁もの、ナムル、サラダ、キムチ等。座禅瞑想の後なので、もりもりいただいた。

 

studio482.theshop.jp

 

日本では応量器という名前なんですね。実に美しいフォルム。実は買おうとして調べたのだ。まずは形から入って、心に溜まってしまったよけいなものをそぎ落とせないかと安易な考えで。食器も好きだし、可愛いお菓子の型も好きだし、欲張りな私にはやっぱり無理かなと思う。でもシンプルでミニマルなものの中にこそ、限りなく深い知恵や教えがあるのではないかという気持ちは変わらない。時々あのお寺でのことを思い出している。