ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

二人の翻訳家の言葉が胸に響いた

今日は2冊の本の翻訳家の方々について書いてみたいと思います。

 

なぜ書こうと思ったかと言うと、お二人とも直接的、間接的であれ、これらの本に書かれている事実に影響を受けることで、肉食をやめヴィーガンになったと語られているからです。

 

「ビーガンという生き方」(マーク・ホーソーン著)

非常に衝撃を受け、感情を揺さぶられた経験について以前ブログにも書きました。

 

retoriro.hateblo.jp

 

「もう肉も卵も牛乳もいらない!」(エリック・マーカス著)

この本も同様に衝撃的な内容で、動物愛護、環境保護の観点から現代人がヴィーガンを選ぶべき理由を説いています。

  

もう肉も卵も牛乳もいらない!

もう肉も卵も牛乳もいらない!

 

 2人の翻訳家をヴィーガンに変えてしまうほど、この2冊の本で語られている食品産業の裏側の真実が、誰の胸にも衝撃を与える内容だということではないでしょうか。

 どちらの本も一番最後にある「解題」「訳者あとがき」の部分に、翻訳家の言葉が語られています。たいへん示唆に富んだ、胸に響く内容なので、少し長いですが紹介しますね。(全文紹介したいぐらいです)

 

井上太一氏(ビーガンという生き方の翻訳者)

白状すると、訳者もほんの数年前まで動物性食品が大好きだった。食事の主役は肉料理と決まっていて、夕食ではほぼすべての品に肉が入っていたと思う。(中略)

ところがある時、豚のドキュメントで工場式畜産の現実をチラリと見たのがきっかけで、魚の小骨がのどに刺さったように、肉を食べながら軽い罪悪感を覚えるようになった。(中略)

ひとたび肉食という規範を脱すると、世界の見え方ががらりと変わる。これまで気にも留めていなかった街の風景が、動物たちの血と涙と苦しみに満ち満ちでいることが肌身で感じられる。(中略)

動物搾取の産物を消費する人々は、他の方面でどれほど立派な正義を語っていても、やはり視界が曇っている。

VEGANという言葉は、「完全菜食主義者」と訳されることが多いですが、井上氏は意識的に「脱搾取派」という訳を当てています。

 

酒井泰介氏(もう肉も卵も牛乳もいらない!の翻訳者)

私事ですが、訳者も本書を読み、ヴィーガンになりました。(中略)

飲食店を紹介するページには「飲み放」「食べ放」なる品のない新語が随所に踊り、(中略)ほとんどすべてが質の悪そうな肉や魚や乳製品。食べて健康に悪く、飲食店もさして儲かるとも思えず、食材提供者にはおそらく強烈な価格切り下げ圧力がかかっており、それが畜産や漁業の現場にどれほどの重圧となってのしかかっていることか、と暗澹たる思いでした。物言わぬ動物たちは、人知れずどれほどこのデフレ経済の犠牲になっていることでしょうか。(中略)

深夜、人気もまばらなスーパーで買い物をしていたとき、鶏卵の売り場であるPOPが目に入りました。M卵10個入り100円。その値札にはサザエさんを思わせる、頬に両手をあてる主婦のイラストが描かれていました。吹き出しにいわく「まあー、うれしい」それを見ながら、本書に書かれていた鶏卵生産の実態が思い出されました。

酒井氏はこの時「ああ、少なくとも自分はもうこんなことに加担するのはやめよう」と、冷え冷えとしたスーパーの店頭で思い、動物性食品をきっぱり断ったと書いています。

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とかく本にばかり目が行きがちですが、今回ばかりは2人の翻訳家の方々の言葉に感銘を受けました。翻訳されなければ、本自体も読むことはなかったでしょうから感謝の気持ちでいっぱいです。最後に酒井氏の言葉をもう一度引用して終わりたいと思います。

 

「私たちの先祖の暮らしは貧しく、つつましいものだったでしょう。しかし殺生をなさず、自然の再生サイクルの恵みを有難く押し抱くように生きていたのではなかったでしょうか。それが期せずして、日本型ヴィーガニズムだったのではないでしょうか。飽食は喜びですか?」