ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

知らないほうが気楽だったこと

ヴィーガンに関する本を読んでいたら、偶然「水族館とベジタリアニズム」(ヘルプアニマルズ主宰杉坂由加里)という記事を読んでしまいました。

 

読んでしまいました、と書いたのは正直

「ああ、読まなきゃよかったな」と感じたからです。

 

そこには水族館のイルカがどのようにして水族館にやってくるかが書かれていました。

 

もちろんアニマルライツという観点からヴィーガンになった人たちをエシカルヴィーガンと呼ぶことは知っていたし、自分が特に何か社会活動しているわけでもないダイエタリーヴィーガン(食事の面でのヴィーガン)という分類に属するようで、同じヴィーガンでもそこに高邁な理想や信念もないという後ろめたさはいつもどこかで感じていました。

 

動物愛護の活動は何一つしていませんが、「ビーガンという生き方」「もう肉も卵も牛乳もいらない!」などの本を読んだり、残酷な動画を見たりしてそれなりに知っているつもりではありました。

 

retoriro.hateblo.jp

ところが「水族館とベジタリアニズム」を読んで、 今まで見えていなかった世の中の側面、裏側をまたひとつ知ってしまいました・・・どうするんだ、水族館に行けなくなってしまうじゃないか。

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ザ・コーヴ」という映画があったのは知っていましたが、イルカ漁ではなくて日本の捕鯨文化を否定する批判的な映画だとばかり思っていました。シーシェパードの過激なイメージが先入観としてあったので、やっぱり日本と欧米の文化や考え方は違うんだな、ぐらいに思っていました。 

 

www.mita-hyoron.keio.ac.jp

ドルフィンスイムとかドルフィンセラピーとかあるじゃないですか。今ではすっかり定着していますが、私が出産する頃に「水中出産」がすごく流行っていて、海外の事例でイルカの側で、イルカと交信し、イルカに見守られながら出産する、なんて記事もよく読んだものです。

 

イルカは哺乳類で人間に近い。イルカ同士が音でコミュニケーションを取っているから知性があるとか、親しみやすいキャラクターとして描かれることも多いし、文学や映画にも登場することが多いですよね。そう言えば「イルカにのった少年」という歌も昔大ヒット。一緒に泳ぐとテレパシー?で交信できて、すごく癒されると言いますが。 

 

それに、よくニュースでは水族館の飼育員の方とイルカの心温まる交流が話題になったりしますよね。子供たちも水族館は大好きでしょう。若いカップルの鉄板のデートコースだとも聞きます。

 

普通に暮らしている中で、楽しい事として存在しているもの。動物園や水族館など。そしてその現場で日々働いている人たち。動物が好きでその仕事を選んだ人もいるでしょう。世話をしながら愛情をもって動物に接していることと思います。この自粛生活の中で、少しでも子供たちを笑顔にしようと動物たちの毎日の様子を動画にアップしている飼育員の方たち。本当に愛情がすごいです。頭が下がります。

 

だから短絡的に何がよくて、何が悪いと決めつけることはできないし、まずは人のことより自分はどう生きたいのかということに尽きると思います。

 

一方で社会を変えようと活動する人たちもいる。
「動物たちが生息場所に生存していることは、地球が健全に存在しつづけるために大きな役割を果たしています」(「水族館とベジタリアニズム」より)

 

ヘルプアニマルズ - 動物の権利アニマルライツ

*直視できない画像などがあります。

 

大昔は大自然に畏怖を抱き、動植物と共存する暮らしを普通にしていたのではないでしょうか。長い歴史の中で全てが人間中心のスタイルになってしまった。だから何も知らなければこの世界は楽しいことも多いけど、誰かの社会活動によって自分の無知を知ったなら、最低限何かひとつでもそれを伝えるなり、自分の生活を一つでも変えるなりしないといけないなと感じました。

 

 でも自分が知らなかっただけで、やっぱり少しずつですが、世界は変わりつつあるんだなと思います。

 

冒頭の記事によると「1993年までにイギリスではイルカがいる水族館のすべてが閉鎖、2005年にコスタリカでは観光客がイルカと泳ぐことを禁止、2011年にトルコでは「動物を苦しめる娯楽はあるべきではない」とプールのイルカ水族館閉鎖を決定、2013年にインドでは水族館でイルカを飼うことを禁止、ケニアでは狩猟が禁止され、動物園も水族館もない。世界で70館以上の水族館施設でイルカなどの鯨類を飼育展示しないと宣言」とあります。

 

国によって文化や事情が違いますが、世界の潮流というものはやはり変わりつつあるのではないでしょうか。人間が長い時間をかけて作ってきた世界を変えていこうとするのも、やっぱり一人ひとりの人間の心からなんですね。