本棚の整理をしていたら、奥の方に見覚えのある、小さくて薄い本を見つけました。禅の十牛図をモチーフにした本です。ここに紛れていたのかぁ、懐かしい。処分する本と残す本を選り分けようとしているのに、手に取るたびにいちいち反応していてちっとも整理が進みません。
ご存知の方も多いと思いますが、十牛図は中国北宋時代の禅師である廓庵(かくあん)が創った禅の入門書です。牛飼いの少年がいなくなった牛を探しに旅に出て、牛を見つけて帰る過程が「禅の悟りに至る道」として描かれています。
それがいわゆる現代の「自分探しの旅」と妙にマッチするということで、自己啓発本などで取り上げられ、「牛は自我の象徴だ」「逃げた牛は無くしたアイデンティティ」などいろいろな解釈がされているようです。
私もちょうど仕事を辞めた頃にこの十牛図の物語に出会って、牛飼いなのに牛がいなくなって拠りどころがなくなった少年が、職業がなくて「私は○○です」と言えるものがなくなってしまった自分と重なり、すごく面白く読みました。
簡単に流れを書きますね。物語は10枚の丸い絵になっています。シンプルであればこそ、いろいろな深い解釈が可能なので、すごく面白いです。
①牛を探す
②牛の足跡を見つける
③牛を見つける
④牛をつかまえる
⑤牛を飼いならす
⑥牛に乗って家に帰る
⑦あるがままに生きる
⑧空白となる
⑨本源に戻る
⑩人の世に生きる
牛飼いの少年が逃げた牛を探しに旅に出て、牛を見つけて家に帰る。物語的には⑥で終わりなんですが、その後がなんとも深いんです。
⑦で「自分は初めから自分だった」と悟り、外に自分探しに出かける必要がなくなりました。迷いがなくなりリラックスします。牛は絵の中にいません。
⑧の絵にはなにもありません。空白です。自分も世界も「ただ存在しているだけ」そこに価値判断はありません。
⑨現実の世界、振り出しに戻ります。状況は①と何も変わらないのに、根本的に変化した自分がいます。
「自分探し」って結局今の自分に満足できないからするものですよね。「こんなはずじゃない」とか「もっと自分がすべきこと、自分を活かせる世界があるはずだ」とか。
でも結局自分は自分でしかないから、外に答えを見つけようとしてもダメで、なぜ「自分探し」をしたいと思っているのか、心の奥の奥、内側の世界をのぞく旅をしないといけない。
十牛図がすごいなと思うのは⑨で終わらないところです。
⑩で街中に出るんですよね。人とつながる。かつての自分のように「自分探し」をしている人とつながろうとする。自己完結で終わらないところがすごいなぁ。
今の自分の状況で、「逃げた牛」は何かなと考えてみたら、やっぱりコロナによって突然奪われた「日常生活」になるのかな・・・と。
でも、よく考えてみたら以前の生活を無理に取り戻す必要はないのかも・・・。
「コロナの前はそんなによかったんですか?」という問いかけを最近あちこちでよく耳にしますが、確かにその通りだなと思います。
だから逃げた牛を求めることより、なぜかこのタイミングで本棚の奥からこの本が出てきて、久しぶりに牛飼いの少年の物語を思い出すことになった偶然を、存分に味わってみようと思います。