ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

一度はじっくり考えてみたい " 牛乳神話 "

今日は牛乳についてのお話です。牛乳が大好きな方、酪農の仕事をされている方には不愉快な思いをさせてしまうかもしれません。

 

日本人はいつから牛乳を飲むようになったのでしょうか?

 

私は小学校の時から給食で毎日飲んでいました。その頃はとにかく牛乳は栄養の塊みたいに言われていました。

「牛乳を飲まないと大きくなれない」

「牛乳さえ飲んでいれば大丈夫」

親も子供もこんな言葉を信じていたと思います。だからそれほど牛乳が好きでなくても飲むのが当たり前、嫌いでもがんばって飲まなければならない、そんな風潮でした。

 

大人になって私はふと思ったのです。

「牛乳って本来牛の赤ちゃんのための飲み物じゃない?」

「どんな哺乳類だって、赤ちゃんのときしか母乳を飲まないはず」

「人間が他の動物の乳を飲むのは変じゃない?しかも大人が乳をなぜ?」

 

こんな疑問が湧いてきたら、なんだか牛乳を飲むことがすごく不自然なことのように感じて、飲むのをやめてしまいました。それでもヨーグルトやチーズなどは少し食べていましたが、だんだん体が受け付けなくなり、やめました。

 

私が子育てをしている時代も牛乳神話は続きましたが、最近は牛乳のカルシウムは吸収できず逆に骨粗鬆症を引き起こす、乳製品が乳癌やアトピーの原因等、牛乳神話が少しずつ崩れ始めています。

 

この本では、牛乳にまつわる10の神話を科学的データに基づき検証し、牛乳の是非について丁寧に解説しています。 

牛乳をめぐる10の神話

牛乳をめぐる10の神話

 

 

大変興味深かったのは、カナダで「大人は母乳を飲めるのか」という企画があったそうです。

 

ワインの試飲のように小さなプラスチックカップに入った母乳(母乳提供者からのもので殺菌済み)を著者も試飲したそうですが、「勇気が必要だった。母乳を飲むというのが気持ち悪かったことは認めたい」と述べています。

 

そして「味がとてつもなく濃い」「飲みなれている食料品店のミルクとは似ても似つかない」「ひどく甘い」そうです。

 

「三度に分けて飲みきるのがやっとだった。私は間違いなく乳離れしていた!」

 

赤ちゃんの時に飲んだ母乳の味を覚えている人はいないでしょう。大人になって母乳を飲む機会などありません。だから飲めと言われても気持ち悪いし、抵抗がある。当たり前のことです。だってとっくに乳離れしているのですから。

 

それなのになぜ牛乳は平気で飲めるのでしょうか。犬や猿のミルクは飲めと言われても不快感を感じて飲めないでしょう。

 

著者は「私たちの牛乳愛は後天的な学習」によるものだと述べています。つまりコップに入った牛乳を目の前に置かれても、栄養のある飲み物と認識し、牛の姿と結びつくことはない。もちろんそこに政治的、経済的な戦略があったことは自明です。給食システムに導入され、子供の頃から「飲むのが当然」と学習させられたのですから。

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日本では「スポック博士の育児書」は有名ですよね。その育児書によって牛乳の健康効果が広まりましたが、第7版以降スポック博士は「牛乳有害説」に方針を変えたそうです。ところが邦訳の最新版はなぜか第6版で止まっていて、それを「わざとかどうか知らないが」と述べたのは、翻訳家井上太一氏です。今日紹介させていただいた「牛乳をめぐる10の神話」を翻訳したのが、そう、あの井上太一氏なんです。

 

retoriro.hateblo.jp

でも、正直言えば「牛乳が人間の健康にとってよいのか、そうでないのか」は実はそれほど重要な問題だとは思いません。飲みたい人は飲めばいいし、飲みたくない人は飲まなければいい。

 

本当のポイントは2つしかありません。

・地球最大の環境破壊要因と言われる畜産・酪農業の環境負荷

・動物倫理・動物搾取の問題

 

「自然」の牛は1日に7㎏の乳を出す。「乳牛」は1日に27㎏の乳を出す。
「自然」の牛は20年の寿命をもつ。「乳牛」は4歳で屠殺される。

(乳牛は一般に4歳ぐらいで乳が出なくなり、役に立たなくなって屠殺所へ送られるそうです)

「自然」の子牛は6ヶ月~9ヶ月の間、母牛の乳を吸って自然に乳離れする。
「乳牛」の子牛は生まれてすぐに一頭用の檻に隔離される。母牛の乳は搾乳機に集められるもので、子牛のものではないから。

 

この隔離は母子双方にとって耐えがたい苦しみになるそうです。母牛は数日に渡って子牛を呼び続け、子牛は心身にストレスを受け免疫障害を起こし、競売にかけられる前に死ぬこともあるそうです。

 

今日は牛乳について考えてみました。こんな本が日本でも翻訳・出版されるとは、私の子供時代と比べて、世界は変わりつつあるんだなと感じました。