とても楽しいズームセミナーを受けましたよ。西洋医学は白い薬、植物療法は緑の薬と言われ、よく「緑の薬箱」という言い方をするので、「お釈迦さまの薬箱」とは一体どういうものなのかタイトルに惹かれて受講しました。
「お釈迦さまの薬箱」
太瑞知見先生(曹洞宗太月山玉峰寺住職・薬剤師)
私の抱いていたお坊さんのイメージを覆す(もちろんいい意味で!)ほど、とてもエネルギッシュな方で、限られた時間の中でいろんなお話がぎっしり。仏教医学だけでなく、インドのアーユルヴェーダや中国の中医学まで話が及び、途中みんなで「食べる瞑想」をしたり、最後は鼻うがいの話まで盛沢山でした。
一体どんな経歴の方かと思ったら、かなりユニーク。とても全部はご紹介しきれませんが、一部だけ書きますね。
九州大学大学院(薬学)、駒澤大学大学院(仏教学)修了。バックパックを背負って1年間ヨーロッパ・アジア・インド・オセアニア諸国を巡る。毎年「禅と弦~座禅とクラシックコンサート」を開催(企画・脚本・演出を担当)
食べる瞑想
実際に自分の好きな食べ物と飲み物を用意して、みんなで同時に行いました。事前に用意するように連絡があったのですが、すっかり忘れていて焦る焦る。何かあるかしらと慌てて探したらクルミ入りの羊羹がありました!
五感で認識しながら食べる。食べることに集中する。ゆっくり食べる。
やってみると、自分の口の中がすごく意識されました。自分の噛む音とか、羊羹が歯につく感じなど、普段は味ばかりに意識が向くけど、五感は使ってなかったなぁ。それに口や顎、舌や歯がそれぞれの仕事をしてこそ、食べ物がこうやって食べられるんだなと、なんだか自分の体の機能に感謝が沸き起こってきました。
・合掌して「いただきます」と言う。
・おしゃべりをしない(心の中で自分とおしゃべりもしない「なんか湿気ってるな」「他のにすればよかったな」等)
・TVをつけない
・口に入れたら飲み込むまで一旦箸を置く。
小さな羊羹を静かに食べただけですが、数分瞑想した気分。以前、韓国釜山のお寺に泊まって「修行体験」をしたことを思い出しました。今思えばあれこそ食べる瞑想だった、座禅を組みながら食べたし。
お釈迦さまの薬箱
お釈迦様は、仏教僧団の環境衛生に大変気を配られたそうです。本には薬・衛生・習慣と3つに分けて詳しく書かれていますが、ズームセミナーでは主に薬についてのお話でした。
お釈迦様が説かれた薬、いわゆる「お釈迦さまの薬箱」は、大きく4つの種類に分けられました。もちろん、ここで言う薬は現代の薬ではなく、食事や薬草などのことです。
①時薬・・・午前中に服用すべき薬(薬膳の食事)
②非時薬・・午後から飲むことができる薬用ジュース
③七日薬・・七日間に限って摂ることが許された滋養食(調味料)
④尽寿薬・・生涯に渡りいつでも服用してよい薬(植物・鉱物などの生薬)
お釈迦様は一日一食しか召し上がらなかったそうです。
「私は一日に一食しか食べません。それで、身体が軽く、安らかに過ごしています。修行僧たちよ、あなたがたもまた、一食にしてはどうですか。身体が軽くなり、安らかに過ごすことができますよ」
バッターリという僧が申し上げました。
「お釈迦様、一日に一食とは 、とても耐えられません。朝夕に食事をしないで、どうやって安らかに過ごせましょうか」(「お釈迦さまの薬箱」より)
修行僧の言葉が、まさに自分の言葉のようで思わず笑ってしまいました。私も船瀬俊介氏や内海聡氏の本を読んで、一日一食を実践していた時があったからです。(正確には一食+スムージーなどの液体)少食が体にいいことは十分わかっているのですが、作るのも好きなので気がついたら食べすぎ(笑)
ただ、今の一日一食はどちらかと言うと「朝は液体のみで、夜に食べる」というパターンが多いと思いますが、お釈迦様の時代には午前中に食事をし、午後から食事をすることは禁じられていたそうです。(正午から翌日の日の出までは薬用ジュース以外は口に入れることができませんでした)
食事ではお粥の効能についても、お釈迦様は詳しく語っていて大変興味深いです。また、薬用ジュースに使う果物や滋養食とされる調味料、生涯に渡り使ってよいとされる薬(薬草や塩など)が「お釈迦さまの薬箱」には詳しくリストアップされていて、驚くばかりです。
少食、一日一食、スムージー、お粥など、まさに今の時代で健康によいとされているものが書かれていて、2500年前の知恵が巡り巡って現代に蘇っているのではないかと感じました。
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私は仏教については全然詳しくありませんが、ヴィーガンなので精進料理には興味があり、時々お寺関係の本を読んでいて、思わぬところで世界が広がることがあります。 まさか禅が自分探しにつながるとは。
今回の「お釈迦さまの薬箱」にはたくさんの穀物・豆・薬草・鉱物などが登場し、アーユルヴェーダのギーについても記述があることがわかりました。もちろん、それらの穀物や植物は修道院医学にも登場するので、宗教や時代に関係なく、世界はやっぱりつながっているし、必要ならばその知恵はいつでも現代に蘇るということを、強く感じました。