ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

臓器にも植物性と動物性があるという

植物性臓器という言葉を初めて聞きました。稲葉俊郎医師の著書「いのちを呼びさますもの」では、人間の臓器を「動物性臓器」と「植物性臓器」に分類しています。

 

植物性臓器とは、「呼吸(栄養物を取り入れる)」「循環(血液などを全身に配る)」「排出(外に出す)」を担い、動物性臓器は、「感覚(外界の刺激を感知する)」「神経(刺激を伝達する)」「運動(出力する)」を担う。

簡単に言うと、脳で動かすことができるのが動物性臓器で、脳からの指令を待つことなく静かに働き続けているのが植物性臓器だそうです。

 

面白いとらえ方だと思いました。目から鱗だったのは、植物性臓器は名前の通り植物と同じような原理を持ち、植物が自然と調和して生きているように、植物性臓器も自然と調和して存在しているという点です。

 

なるほど言われてみれば、満月に近づくとエネルギーが上へ上へと上昇するから、ほてりやのぼせが起こりやすくなるし、新月はエネルギーが下へ下へと向かうから足にむくみが出やすくなる。低気圧の日や季節の変わり目には自律神経が乱れてめまいや頭痛がしたり。

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一方、動物性臓器は動くことにその本質を持っているため、自然の状態や原理に反してでも動こうとする性質を持つそうです。

 

そして驚いたのは、稲葉医師がその植物性臓器を「ミクロコスモス」と呼んでいたことなんです。

 

私が聖ヒルデガルトについて学んでいる時によく出て来るのが「ミクロコスモス・マクロコスモス」という言葉で、私たちは小宇宙で大宇宙とはいつもつながっている、調和しているというお話です。

 

人間の個の存在は、誰でもあるがままでもう完璧な存在。ひとつの小さな宇宙。

 

 よく「心の奥を覗く」「心の声を聴く」と言いますよね。自分が本当にやりたいことは何か。魂が震えるほどワクワクすることは何なのか。それをやるのがこの世に生まれて来た使命だという。

 

稲葉氏は「体の内側にあることで無視されやすい植物性臓器の声を聴く」ことが大切だと言います。

 

心の声は聴こうとするけど、植物性臓器の声を聴こうなんて考えたこともなかった。

自然と調和し、命を支えている植物性臓器をミクロコスモスとして体の内側にしまい込み、大切に大切に守ってきたからこそ、人類はここまで途切れることなく繋がってきたのだ。 

私達は医者でもない限り、体の中を見ることはできないから、そんな重要な仕事を粛々としている植物性臓器に気づかないまま、目も向けないまま、無視して感謝もしないまま一生を終えてしまうかもしれないんですね。

 

 西洋医学の医師でありながら、西洋医学だけでは人間の心と体をとらえることはできないと、自然療法や代替療法を学び「医療の本質とは何だろう」と問い続けている稲葉氏の言葉は大変示唆に富みます。 

いのちを呼びさますもの —ひとのこころとからだ—

あらゆる細胞や臓器が協調し合い、調和することによって生きている私たち。稲葉氏はそれをスーパーシステムと呼び「綱渡りのように命がけで、奇跡的な共同作業の連続」と言います。 

 

それは医療の現場で、このシステムがあっという間に失われてしまう「死」というものに日々直面しているからこそ感じることなのでしょう。

 

この本を読んで、脈々と繋がってきた生命の神秘について改めて考えさせられました。ものすごく精密で正確で完璧なスーパーシステムを生まれながら持っている私たち人間。約60兆個の細胞の協力と共同作業によって成り立っている。

 

ぼやぼや生きている場合じゃない。だけど無理したり、体を酷使するのは絶対にやめよう。