折に触れ、何度も立ち戻りたくなる十牛図のお話。たった10枚の絵の中に、どれだけ人生の指針、この世の真理が込められているのだろう。
元々は宋の時代に作られた「禅の入門書」のようなもので、10枚の絵を通して悟りに至る道筋が描かれている。禅の修行僧が、自分が今どの段階にいるのかを十牛図の絵を助けに知ることができるという。
牛飼いの少年が、いなくなった牛を探しに旅に出るところから始まる10枚の絵。そんな十牛図が現代に蘇り、いわゆる「自分探しの旅」の手がかりとして、読まれているらしい。私も十牛図の持つ、なんとも不思議な魅力にすっかりはまってしまった一人だ。
牛とは何なのか、本来の自分?それを「外に」探しに行ってどうするのと思うけど、自分を見失っている時は、そんなことには気づかない。
この度、俳優の松重豊さんが禅僧の枡野俊明さんと十牛図について語る本が発売されたので、これは面白そうだと、さっそく購入してみた。
松重さんは40歳の頃に十牛図に出合い、「ものすごくイマジネーションをかき立てられ」て、これは自分のこれからの道を照らしてくれる「人生の指針になりうるのではないか」と感じたそうだ。
そこで以前から交流のあった枡野さんに「牛を探す旅の道案内」をお願いし、この十牛図について語り合う対談が実現した。
面白すぎて一気読みしてしまった。松重さんがご自身の俳優人生を、牛を探す少年の旅に重ね合わせて話されており、そこに枡野さんの禅を絡めた解説がわかりやすく入るのが絶妙すぎて素晴らしかった。
たとえば、生まれたばかりの「本来の自己」には一点の曇りもない美しい心が備わっているのに、成長するにつれ、そこに執着や煩悩といった体脂肪(我欲)がべったりとくっついてしまい、本当の自分が見えなくなってしまうというお話。
心の体脂肪は自分で気づく以外に落とす方法はありません
十牛図はたった10枚の絵から成り立っている。
①牛がいないことに気づく。
②牛の足跡を見つける。
③牛のお尻が見える。
④捕まえようと牛と格闘する。
⑤牛をうまく手なずける。
⑥牛の背に乗って家に帰る。
④で自我と格闘し、⑤で悟りが得られ、⑥で自分の居るべき場所に帰る。ここで話は終わってもいいのに、続きがあるのだ。
⑦家でくつろぎ牛のことも忘れる。
牛を探す旅のお話だったのに、絵の中にもう牛はいない。この辺がなんとも意味深で面白い。
⑧無の世界
なんと⑧の絵は空白。何も描かれていない、ただの円なのだ。すごい!
対談でも「十牛図最大の謎」と盛り上がる。枡野さんの解説によると「人も牛も忘れ去られ、迷いも悟りも超越した時に、絶対的『空』が現れる」という。
ここで終わってもいいのに、まだ⑨と⑩があるから、十牛図は不思議なのだ。私が感動したのも、まさにこの⑨と⑩の世界。
⑨自然の風景
空の次は自然の絵が描かれている。松重さんもこう話す。
ここで自然が出てくるとは、つくづく「十牛図」は魅力的なストーリーだなぁ
枡野さんの解説では「すべての真理は、森羅万象の自然の中に存在しているということ」で、①から⑥までは「自分が」一生懸命牛を手なずけていたけれど、⑨では「自分が生きている」のではなく「大自然に生かされている」ことに気づく段階だそうだ。
⑩再び街中へ
悟りを開いて山に籠るのではなく、日常生活に戻り、街中に出て行く。すると、そこには以前の自分のような牛を探している少年がいる。少年とのつながりを予感させながら十牛図は終わる。
牛を探す旅で始まったけど、牛を見つけて終わりじゃなかったというところが、このお話の実にすごいところだと思う。そして宋の時代の禅の指南書が今に至るまで、伝わり続けているのは、そこに真理があるからだろう。
私が最初に出合った十牛図の本は「僕が飼っていた牛はどこへ行った?」で、この本も本当にすごい対談で、現代の自分探しにぴったりかも。
何度読み返しても、言葉が心に刺さる。
「『私が』『私の』というOSを変える」
「細胞が喜ぶか、細胞が嫌がるかという感じがわかれば」
「ボディも入ったスピリチュアルが大事なので」
「一人が開く、その影響でまた次の人が開いていく」
十牛図は鈴木大拙により欧米に紹介され、欧米人の禅理解を助けるのに役立ってきたという。こちらは英語と日本語で書かれた詩と絵からなる十牛図「さがしてごらんきみの牛」だ。
最後に、枡野さんの言葉で一番ドキっとしたのが「自分で自分の心臓を止めることができますか」という問いかけだ。いくらテクノロジーが発展しても、人間ができることには限界がある。
私たちが生きていられるのは、自分で心臓を動かしているからではなく、自身を超えた何か大きな力が心臓を、ひいては私たちを動かしてくれているからです
つい忘れがちになっていることを、改めて教えてもらった。とてもいい本でした。
僕が飼っていた牛はどこへ行った?―「十牛図」からたどる「居心地よい生き方」をめぐるダイアローグ (HANDKERCHIEF BOOKS)