ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

新月の断捨離と所有欲

天文系は苦手ですが、長年ヨガをしているうちに自然と身に付いたのが月のリズムで暮らすこと。市販のヨガ手帳にも必ず月の満ち欠けの絵が描いてあります。

 

・満月の日にはヨガをお休みする(休息日)

・満月と新月の日にはプチ断食をする

 

他にも「満月に向かってエネルギーが上昇するから、頭に血が上ってのぼせたり、感情が爆発しやすくなる」とか「新月に向かって地面の方にエネルギーが下降するから、足がむくみやすくなる」なんて話もよく聞きます。

 

難しいことはわからないけど、意識しているのは2つだけ。

 

欠けていく月に合わせて、解毒浄化が進む。だからダイエットや掃除に最適

満ちていく月に合わせて、補給摂取が進む。だから体づくりや休養に最適

 

確かに、大して食べてないのに何で体重が増えてるのと思ったら、もうすぐ満月かぁ、なんてことはよくあります。この時期は何を食べても太るのでダイエットには向きません。

 

3月13日は新月でした。この日に合わせて家の中を掃除、断捨離して気持ちよく春を迎える準備をしようと思い立ちました。

 

この1年は特に家にこもっていたので、食料品や本をやたら買い込んでしまったり、旅行に行かない代わりにと、趣味系プチ贅沢品を買ってしまったりと情けない有様。逆に服飾品などは全然必要ないことに今更気づいたり。

 

「不用品は死蔵品」と言うから、とにかく大胆な断捨離をして今を最適化しよう!

 

まずは食器から。困るのはセット物。全然使わないし、お客さんも来ないけど、そろっているものを何もわざわざ捨てなくても、と決意が揺らぎます。島根県の湯町窯など旅先で買ったものも捨てられないし。

 

結局食器は出したりしまったりしただけで、食器棚内の移動で終わってしまいました。実用に徹して、皿1枚、カップ1つで生活できたらどれだけすっきりすることでしょう。

 

洋服類はかなりがんばりましたが、もったいないという気持ちとのたたかい。特に帽子とストール類が知らず知らずのうちにたまっていること。夏の麦わら1つ、冬のニット帽1つで十分なのに、非実用のベレー帽などがいくつもあり(苦笑)

 

そしてなかなか捨てられないのが、自分で編んだもの。やたらとマフラーだの大判ストールなどがある。私の母親世代なら、全てほどいて別の物を編んだりするのでしょうけど、とにかく今は持ち物を減らしたい。

 

こうやっていざ断捨離をしようとすると、そもそも暮らしのスタートが間違っていたのだなと感じます。まさに飽食の時代、物のあふれる時代の真っ只を過ごして来たので、始めから過剰な物にかこまれている。だからこそ断捨離という言葉も生まれたのでしょう。

 

物を大切にしたい。台所道具はとことん使いこなしたいし、鞄や文房具は手に馴染むぐらい長く使いたい、好きな服は擦り切れるまで着たいし、修繕する楽しみも味わいたい。

 

間違いなくそう思っているのだけれど、とにかく目の前の物の絶対量が多すぎる。まずは断捨離をして「これから末永く大切に使うもの」を選ばないといけないという情けない状態。

 

 新月は何かをスタートするのにふさわしい日。大胆な断捨離をして、質素で温かい、風通しの良い暮らしを始めたいのですが、今までの物欲にまみれた日々を簡単にチャラにはできないようです。「今を最適化」することが「新しい欲を満たす」ことになってはいないかと気になります。

f:id:retoriro:20210314145933j:plain

ミモザ祭りを見に行って、その愛らしさと力強さにすっかり魅了され、庭にミモザを植えました。ミモザはとっても美しいのですが、これも私の所有欲なんだろうなぁと、複雑な想いです。

retoriro.hateblo.jp