ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

あったか~い贈り物を回す

今週のお題「あったか~い」

 

クロネコヤマトさんから荷物配達のお知らせがありました。依頼主は扶桑社様で、商品名は「雑誌〇〇読者プレゼント」

 

わーい、何か当たった当たった!と喜んだものの、一体何に応募したのか全く記憶がありません。キッチングッズか何か?

 

届いたのは、なんと健康茶のセットでした。お茶とお茶の時間が大大大好きなので、こんなにうれしいことはありません。感激です!

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鳥取県にある会社で、薬草茶や健康茶を作っているゼンヤクノーさんからのプレゼントでした。完全に忘れていましたが、応募したのは5月だったようです。雑誌のウェブ版をたまたま見ていてお茶が目に留まったんですね。

 

ここ数か月は「日本のハーブセラピスト」の勉強に明け暮れていたのですが、試験が終わった直後に届いたので、このタイミングで天からのご褒美!と都合よく解釈し、ひとりで舞い上がりました(笑)

 

お茶のプレゼントだなんて、これからの寒い季節にぴったり。ありがたいな、うれしいなと思っていたら、なんとまた偶然にお茶をいただいたんです!

 

こちらはクリスマス仕様で、可愛らしいギフトボックスにティーバックがたくさん入っていました。

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世界のお茶専門店ルピシアさんのクリスマスボックス。一つひとつよく見ると、メインの紅茶もスパイスや果物の香りで種類がすべて違っていて、他にも黄金桂、黒豆玄米茶、深蒸し煎茶、ルイボス茶など、全部違うお茶でした。なんと贅沢な。

 

思いがけず、うれしいお茶のプレゼントが続き、飲む前から心がほんわかとあたたかくなりました。こんな幸福感を独り占めしていいのか、誰かと分け合いたいと思いました。お茶会でも開く?

 

でもこのあったかくて幸せな感じって何なんだろう。

 

・大好きなお茶をもらったから
・思いがけずもらったから
・もらったから

 

やっぱり「もらったから」かな。どこからか舞い込んだ幸運。誰かとのつながり。

 

今の時代、人に何かを贈るのって難しい気がします。ミニマルな生活を望む人も多いので、モノを贈って喜ばれない場合もありますよね。カタログギフトが好まれたり、自分で自分に贈り物をしたり。

 

私も考えすぎてしまうほうなので、気軽にプレゼントができません。好みじゃないかなとか、負担に思われない値段ってどのくらいかなとか、、。贈った後で、やっぱり別のものにすればよかったかなとか。

 

もらったらもらったで、もらいっぱなしでいいかしらとか、お返しはどうするとか。

 

「すみません」の語源は、相手との関係で「自分の気持ちが済まない」「心が澄みきらない」という意味だそうですが、日本人は人との関係を常にプラマイゼロにしておきたい傾向があるんですね。だから他人に助けを求めるのが苦手だし、まずは自助からと。

 

モノに限らず、あたたかい言葉だったり、ちょっとした親切や手助けなどはいつももらっているはず。恩と言うと大袈裟だけど、ありがたいなという気持ちをもらった相手に返そうとするから、きっと複雑になるのでしょうね。

 

「ギブアンドテイクでプラマイゼロにしないと気が済まない(澄まない)」から、相手との間に義理、距離感、期待感、義務感など余計なものが生じてしまう。

 

ふと、白鳥哲監督の「恩送り」の活動を思い出しました。受けた親切や恩を相手ではなく別の人に送って、さらにその人が別の人に送る、そうやって社会にいい連鎖が続いていくというもの。コロナ禍で「ペイ・フォワード」の精神が再び注目を集めているという記事も読みました。

 

今回「お茶」という形で思いがけず私に舞い込んできた幸福感。恩とは違うかもしれないけど、こういう幸せな気持ちも回せるのかな。モノでも言葉でも態度でも行動でも、手段は何でもいいからどんどん誰かに送る。

 

難しく考えて閉じてしまうより、とにかくギブ、ギブ、ギブで回して「あったか~い」がどんどん循環していけばいいな。

 

いただいたお茶であったまりながら、そんなことをぼんやり考えました。やっぱり独り占めはよくない。心が澄まない、ですね。

 

 

 

retoriro.hateblo.jp