福岡県東峰村にある岩屋の奇岩群。古くから神々が降臨する神聖なものとして、人々の信仰の対象となってきました。そんな奇岩の窪みに作られた国重要文化財の本殿を一目拝もうと、岩屋神社へ行って来ました。
鳥居をくぐってしばらく行くと苔むした長い石段が見えます。ここを登ると見えてくるのでしょうか。
さらに別の石段が続き、その先には大きな岩がそびえ立っています。その下に本殿らしきものが見えてきました。かなり急な石段、幅も狭いです。苔で滑りそう。
ふうふう言いながら登って行くと、青空と緑の中に現れた本殿。ごつごつとした大岩の窪みにすっぽりとはまっているように見えます。茅杉皮重ね葺きの屋根、なんとも厳かな佇まいです。
近寄ってみると「なぜ、こんな岩の中に」と驚かざるを得ません。窪みを活かした造りのため、後ろの屋根や壁は造られていないそうです。岩のままということでしょうか。まさに自然と一体化しているんですね。
ぐるっと横の方へ回ってみると、そびえ立つ岩の様子がもっとよくわかります。この大岩は権現岩と言うそうです。
うわぁ、圧巻の光景です。すごい構造の建築ですね。これは一見に値します。来てよかったと早くも感動!空は青く、空気も澄んでいて、天界が近く感じられます。
岩屋神社は532年から存在する歴史ある神社で、国重要文化財である本殿は1698年に筑前福岡藩4代藩主、黒田綱政によって建立されたそうです。
自然を破壊せず、岩の窪みをそのまま活かして造るなんて、素晴らしい発想です。どういういきさつでここに作られたのかはわかりませんが、それだけ自然を畏怖していた証拠ではないでしょうか。
内殿には「宝珠石」がご神体として祀られています。547年のある日、突然光り輝くものが天からここ岩屋に降って来て、それを宝珠石と名付け薦(こも)で覆って祀ったそうです。別名「星の玉」と言い、隕石ではないかと言われています。
「直接見ると目がつぶれる」という言い伝えがあるので、648年以降4年に1回行われる「薦替えの儀」でも、目隠しをし、口に榊の葉を咥えて行うそうです。
1500年もの間、誰も見たことがないという宝珠石。幾重にも薦で包まれているそうですが、まさに神秘のベールに包まれていますね。
こちらは本殿横にある岩の割れ目。「針の耳」と呼ばれていて(糸を通す針の穴のこと)親不孝者が通ると上から石が落ちて来るという伝承があるそうです。信じやすいタイプなので、親不孝の自覚がある私は通りませんでした。
さらに上に登ると、岩屋神社境内社の熊野神社本殿があります。天狗が蹴って穴を空けたという熊野岩の険しい岩場に立てかけた懸(かけ)造りです。こちらも国指定の重要文化財です。
青空の元に見えてくる不思議な光景。1686年に村民が建てたそうですが、またもや「なぜ、こんなところに」と思わざるを得ません。やはり自然を活かして、ということなのでしょうか。天狗さんのお導き?
完全に岩の中に隠れているので、上から見たら何があるかわからないでしょうね。
なんとか正面から写真を撮りたくて、苔ですべる急斜面をしゃがみながら登って回り込みました。危ない危ない、そこまで行くか。こんな神聖な場所に来てまで欲望丸出し(笑)
岩屋神社一帯は古代から多くの行者が修行した修験道の聖地だそうです。中世には祭事でにぎわったものの、戦国時代の争乱で建造物は全て焼かれてしまい、江戸時代に今の本殿が建立されてから300年以上、目だった修理はされていないそうです。
こちらは「岩屋の馬の首根岩と洞門」で、洞門は江戸時代に山伏によって彫られたそうです。本当に奇岩が多い場所なんですね。
岩屋神社のご神木のひとつ、こちらの大イチョウもものすごい存在感です。「岩屋神社の盛衰と人々の祈りを見つめてきた」大イチョウ。(ガイド板の説明文)
他の木々もみな大樹です。神社のある所には大樹あり、ですね。
神々が降臨すると言われてきた神聖な場所であり、古くから人々の信仰の対象となってきた岩屋の奇岩群。そして古代から多くの行者が修行してきた修験道の聖地。
そんな聖なる場所を訪れて感じたのは、やっぱり自然を「神宿る存在」と畏れ敬う人の心でしょうか。なぜわざわざ平地ではなく、険しい岩に本殿を造ったのか。しかも岩を削ったりせずに、元々の窪みを最大限活かして建てている。
神々が降臨する場所に勝手に手を加えてはいけない。自然が作り出した奇岩に畏怖の心を持ち、人間の方が自然に合わせる形で造られたのでしょう。貴重な文化財と昔の人々の謙虚な心に触れ、こちらも心が洗われる思いでした。