ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

やっぱりすごい、賢治の「ビヂテリアン大祭」再読

今週のお題「住みたい場所」

 

宮沢賢治の理想郷、イーハトーブ

 

美しい自然の中で、人は働き、芸術を楽しみ、動物も植物も鉱物も、幸せに共存している世界。

 

賢治の造語であるイーハトーブ。一般的な説では、賢治の故郷である「岩手」をエスペラント語風に発音したもので、場所は実際の岩手県というより岩手を原風景とした賢治の心象世界だと言われています。

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大学時代、すでに菜食だった私は賢治の菜食思想に惹かれ、教育実習の課題も賢治を選びました。ですから今でも宮沢賢治と聞くと、自分の赤面ものの青臭い授業が鮮明に思い出されるため、賢治からは遠ざかっていました。

 

ところが、最近「ビヂテリアン大祭」を読み返したところ、今の時代にこれほどふさわしいテーマの作品があるだろうかと、改めて驚いたのです。なんという時代の先駆者だったのでしょう。

 

ある外国の地、ヒルテイという村でベジタリアンの祭典が行われ、世界中から菜食主義者たちが集まるのですが、そこに反菜食の人たちが現れ「偏狭非文明的なビジテリアンを排す」という過激なビラが配られます。そしてお祭りは菜食を巡る大論争になるのです。

 

まずはそのタイトルから。なぜ「菜食主義者」ではなく、外来語のカタカナ表記で「ビヂテリアン」としたのか。

 

その理由は登場人物からも想像できます。参加者は日本人の他にトルコ人、中国人、ジャワ人、アメリカ人、カナダ人、その他の西洋人。

 

とにかく多国籍なんです。つまり賢治の「菜食思想」は、菜食を最初から世界共通の問題、大きな世界観でとらえようとしているのです。

 

賢治はトルストイを耽読していたというから、50歳を過ぎてベジタリアンになったトルストイの影響も少なからずあるはずです。 

 

そして今に通じる菜食の分類がすごい。

 

①同情派・・・あらゆる生命を惜しむことから動物の肉を食べない

②予防派・・・肉食過多からくる病気を予防するために肉食をしない

 

これはまさに今のヴィーガンの分類と同じではないですか。

 

①エシカルヴィーガン・・・動物愛護の観点から、動物搾取をしない

②ダイエタリーヴィーガン・・肉は体に悪いと考え健康面から肉を食べない

 

賢治はこの作品の中で、病気予防派のベジタリアンを「利己的」と言っています。私自身このブログを始めるまでは視野が狭く、単に自分の食の好みだけのダイエタリーヴィーガンだったので、革靴を履いている自分をヴィーガンと呼んでいいものかと悩んだこともありました。

retoriro.hateblo.jp

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 この作品のすごいところは、肉食派菜食派を同時に登場させ、侃侃諤諤の大討論をさせているところです。肉食派もただ肉を食べる人ではなく、シカゴ畜産組合屠畜会社の技師たちといった畜産業に関わる人たちだから、菜食主義者に対するツッコみも鋭い。

 

実際にその当時のシカゴは精肉業、食肉処理場の中心地だったというから、この作品のもつリアリティのすごさが垣間見れます。

 

そして議論される内容は、まさに現在のヴィーガン論争に通じるものばかりなんです。反菜食派がツッコむ論点は次の通り。

 

タンパク質不足になる
動物を食べないと食料不足で飢え死にする
動物に意識はないので哀れみ不要
植物は殺してもいいのか
人間にも肉裂き用の犬歯がある
釈迦は肉食を禁じなかった

 

これらの問いに菜食主義者たちが丁寧に、かみ砕いた論理で反論していきます。

 

なかでも印象的なのは、畜産業の技師が屠殺の様子を生々しく話す場面で、あまりの残酷さに婦人たちが耳を塞いで泣いたり、卒倒したりする様子が描かれています。これなどはアニマルライツセンターの動画(残酷すぎてとても直視できるものではない)を思い出してしまいました。

 

そして一番驚いたのは、現在のSDG’sの文脈で語られる「脱肉食」という観点が出て来たこと。「ハンバーガー1つ作るのにどれだけの水が必要なのか」「牛が食べる穀物を人間に回せば飢えている子供たちを救える」という議論がされますが、それと同様の話が出て来るのです。

 

100年も前に書かれた話なのに、賢治の洞察力のすごさに脱帽するばかりです。

 

賢治は22歳から5年間完全菜食をしていましたが、その食事は冷たい麦飯に納豆をかけたり、漬物と麦飯のみだったりしたようです。最近のインスタ映えするオシャレなヴィーガン料理とはまるでかけ離れた素食だったのでしょうね。

 

その後、社会的な付き合いでちょっと肉食をすることもありつつ、最終的には菜食に逆戻りしたそうです。

 

 ところで、賢治の早世について「菜食主義の栄養不足」なんて言ってるお医者さんがいました。正直まだこんなこと言う人がいるんだと呆れるばかり。でもこれが世間一般的な見方なのかなぁ。

www.news-postseven.com

 

生きている間は全くの無名で、肺の病のため37歳という若さで早世した宮沢賢治。裕福な家庭に生まれながら家業を継がず、農業に勤しみながら100余りの童話、1000余りの詩や文章を残しました。

 

2011年3月の東日本大震災の際、賢治の「雨ニモマケズ」にネット上で4万件以上のアクセスがあったことが、震災1ヶ月後に明らかになったそうです。どれだけ人々の心の支えになったのかがわかります。

 

子どもの頃、教科書で習った記憶がある「雨ニモマケズ」の詩。私も改めて読んでみましたが、ここまでの利他の精神はどこから来るのでしょうか。深刻な病状で遺書のようなものと一緒に手帳に書き留めたと言われていますが、死の直前まで「そういうものにわたしはなりたい」と、自分のあるべき理想像を語る言葉は胸を打ちます。

 

「玄米と味噌と少しの野菜」が意味する賢治の菜食思想とはどんなものなのか、イーハトーブとはどんな世界なのか。教育実習の時の初心に返って、また学び直したいと思います。

 

 

 参考文献はこちら ↓ 


宮沢賢治の菜食思想

 

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