ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

老女の聖なる贈りもの

今週のお題「最近おもしろかった本」

 

心に響くよい本を読んだ。日本での出版は今から20年前の、結構古い作品だ。タイトルは「老女の聖なる贈りもの」で、インディアンの老女と白人のセラピストとの心の交流を描いたお話だ。ケビンコスナーの映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」を思い出す。

 

主人公は心理学博士のメギー。仕事では成功したが、夫の暴力のため15年間の結婚生活に終止符を打つ。心の傷を癒すためニューヨークを離れ、田舎の丘陵地帯へ引っ越し、診療所で働きながら、家の修理などの肉体労働も一人でこなしている。

 

ある日、ひとりのインディアンの老女ウィノナがセラピーを受けに無理やり連れて来られる。彼女は2ヶ月後に死ぬと頑なに宣言しているため、娘が心配して連れて来たのだ。

 

ウィノナは別に病気でもなく、自殺願望があるわけでもない。理由を聞いても「なぜって月が2度満ち欠けしたら、死ぬのにちょうどいい日だからさ」と笑って答えるばかりで、セラピーは困難を極める。

 

回を重ねるうちに、メギーはウィノナが話すインディアンの死生観やスピリチュアルな世界にどんどん引き込まれていく。

 

その間メギーの私生活にもいろんなことが起こる。母親から再婚をせっつかれ、女友達に紹介された男性に会ってみるが、その日に関係を迫られて「キスなんて何年ぶりだろう」とその気になってしまう。

 

土壇場で正気に戻り拒絶すると、男は態度を豹変させ「何様だと思ってるんだ。あんたみたいに不格好で薄汚い女なんて追いかける値打ちもない」と暴言を吐く。

 

セラピーを受けに来たウィノナは、すぐにメギーの心の状態を見抜き、ホワイトセージを焚いて浄化してくれる。

あんたにはこれが要るよ。ヒーリングの仕事をする前に、まず自分を清めなくちゃならないんだ。

自己嫌悪、自己憐憫、男の言葉、べとべとした男の手の感触にずっと悩まされていたメギーは癒され、救われる。

 

一体どちらがセラピストでどちらがクライアントなのか。立場が逆転したまま、セッションは続き、メギーはこのインディアンの老女からたくさんのことを学んでいく。

なにもかもがめぐってゆく。留まるものなど何ひとつない。(中略)生きることのすべてはひとつの輪なんだよ。

ウィノナは時が来たのを感じ、メギーに祈りの儀式のやり方を教える。まずホワイトセージを焚いて。そしてメギーのために祈る。

グランドマザー、この者が目を開き、心を空っぽにして、あなたの上をどう歩めばいいか教えてやってください。

数日後、ウィノナが亡くなったと連絡が入る。娘さんの話では「スピリットたちがやって来て、準備はできたから一緒に来てもよいと言ってる」と嬉しそうに言い、笑って旅立ったそうだ。

 

追悼式に参加したメギーは、そこでウィノナから預かったという箱を受け取った。箱の中には渇いたホワイトセージが山ほど詰め込まれていた。祈りの儀式に使うパイプも。

 

メギーはウィノナの贈りものの意味を考える。「ウィノナは私に決意を促すつもりなのだ」

 

ヴィジョンや迷信を否定し、目に見える現実の中だけで生きるのか、それとも大地はグランドマザーであり、私達は彼女の子供であるというスピリチュアルな世界で生きるつもりがあるのかと。

 

著者のコーガン氏は主人公と同じ心理学博士で、インディアンの心理学者と結婚。夫を通してアメリカ先住民の哲学やヒーリングを深く学んだそうだ。この作品は自身の体験に基づいているので、読者を惹きつける説得力があるのだろう。

 

私は庭でホワイトセージを育てていて(お茶や薬用はコモンセージ)乾燥させて保管している。葉っぱを一枚燃やしただけで、その独特の香りと漂う煙で心が落ち着き、安心感に包まれるから不思議だ。この本を読んでホワイトセージが古くから伝わる神聖なハーブだと改めて知った。

この本には、聖なる輪(メディスンサークル)ムーンロッジなどネイティブインディアンの深い教えが出て来る。ムーンロッジ、女が自ら沈黙の中に引きこもり、一人静かに心の内に向かう場所。もっともっと知りたくなるような本だった。

 

 


老女の聖なる贈りもの

 


無農薬 ホワイトセージ 枝付き (クラスター) 約100g カリフォルニア産 浄化用 お香に

 

 

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