ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

脱肉食も脱プラも目指すところは同じ

本を読んでいて次の言葉に出合い、思わず書き留めました。

「今を生きている世代は自分たちが楽をして生きるために、何も悪いことをしていない未来の子供たちを罰しているようなものだ

 

改めて自分が育った時代は「消費の時代」だったなと痛感します。それを悪いことと思わず便利さの恩恵を十分すぎるぐらい受けた結果が、これからの世代に回してしまったツケとして残った。ツケではなく、もう「罰」なんですね。

 

日本でも最近ヴィーガンに関する話題をよく聞くようになり、脱肉食が地球環境を救うカギになるという認識が広がりつつあるのを感じます。一方で脱プラの動きも加速し、個人の意識や企業の取り組みが変わりつつあります。

 

どちらも目指すところは結局同じで、地球環境をなんとか改善しよう。今すぐ始めないと手遅れになるという危機意識からの行動だと思います。異常気象や自然災害、新型ウイルスの流行。今の世代で環境改善に取り組まなければ、未来の子供たちは本当に地球に住めなくなるという話が、なんだか信憑性を帯びてきました。

 

私も日常生活からまず見直そうと、お店でプラスチック・フリーの歯ブラシを手に取ってみたら「豚毛」だったりして、あらあら、食用にされた後こんなところにまで使われているのかと、ちょっと複雑。また、ひまし油など植物性由来の毛を謳っていても、実はものすごい化学処理が施されているという記事も読みました。まずは歯ブラシから変えてみようかと思ったのですが、結局選べず。1本1,000円ぐらいするんですよ~。

  

 「今すぐできる小さな革命」という副題に惹かれて読んでみました。「プラスチック・フリー生活のスタートガイドの決定版」ということで、私にもできることが少しでもあればと思いました。

 

著者はプラスチック・フリーのオンラインショップを営むご夫婦。この仕事を始めたきっかけはご自身の母乳を保管する必要があったとき、「命の素となる液体を煮沸消毒したプラスチック製の哺乳瓶に入れるのはまっぴら」とガラス製の哺乳瓶を探したことだったそうです。やっと見つかったけど「注文は1000個以上で」と言われて・・。

 

プラスチックから染み出す化学物質は煮沸など限界温度に晒されると、いっそうリスクが増すそうです。私がもう何年も使っているヨーグルティア。毎回容器を熱湯消毒しているけど、考え直さないといけない時が来たなと思っていたら、ガラス製が発売されていました。時代の流れですね。

 

この本では身近に使われる15種類のプラスチックについて「絶対避けたい」「避けたい」「比較的安全」など詳しくまとめられていて、興味深く読みました。一言でプラスチックと言ってもこんなに種類があるんですね。何度でも使えるからエコのような気がしていたシリコーンにも問題があることがわかりました。

  

まだまだ学びましたよ。リサイクルがいいと思っていたら、ペットボトルから作られた衣類は洗濯に伴い、繊維状のマイクロプラスチックが発生し、水環境を汚染するそうです。複雑ですね。よかれと思って始めたことがそうでない結果につながることもあるんですね。

 

そしてリデュース、リユース、リサイクルの3Rだとばかり思っていたら、Refuse(受け取らない)Repair(修理する)Rot(コンポスト)などRが増えていた~!

Refuseを果敢に実践している方がこちら。ブレない行動をさらっとやってのけるところ、本当にあっぱれです。行動するってこういうことなんだなと教えてもらいました。

ethicalminimalist.hatenablog.com

 

さて、この本で紹介されている「プラスチック・フリー7月」「プラスチック・フリー火曜日」という取り組み。読んだ時は「へぇ、こんな活動があるんだ」ぐらいにしか思いませんでした。ミートフリーマンデーという肉を食べない日の活動があるので、プラスチックも同じような取り組みがあるんだなと。

 

ところが、ブログで交流させていただいている方が「プラスチック・フリージュライ」について紹介していたので、一気に身近に感じることができ、私も参加しました。勿忘草さん、ありがとう!

himewasurenagusa.hatenablog.com

ほんの小さな一歩ですが「7月中の1日だけ」「1週間だけ」プラスチック・フリーで暮らしてみるという試みは、大きな意識改革になると気づきました。やってみると、毎日歯みがきの後に使っている糸ようじすら、使い捨てプラスチックだということがわかり(今までまったく意識しませんでした)どうしよう~と困りました。

 

脱肉食や脱プラの活動を一生懸命やっている方たちがいる。今までは自分がそこにちょっと「乗っかる」だけで、活動の輪に加わったような気になるのは、ずるいんじゃないかと思っていました。でもたとえ「乗っかる」かたちでも、他人事のように見ているだけよりは「乗っかって」みたほうがいい。今回プラスチック・フリージュライに参加してそう感じました。

 

私も日本でヴィーガンは生きづらいとグチばかり言っていないで、自分にできることを探していきたいと思っています。