ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

プラスチックというだけで捨てられた我が家の愛用品(涙)

ヨーグルティアのガラス製容器が来ました~。やっぱりきれいで清潔感がある。長年使ってきたプラスチック製のものと比べると雲泥の差。

 

プラスチック製の方はもう7.8年は使っていたと思う。よく見ると傷がいっぱい。週に1度は豆乳ヨーグルトと甘酒を作っていた。その度に熱湯消毒していたから、プラスチック容器からどれだけ悪いものが溶け出していたのでしょう。考えただけでも怖いです。

 

ヨーグルトメーカーはプラスチック製容器が多いので、こんなガラス容器が新発売されたということは、やっぱり脱プラスチックの流れが来ている、それだけ需要が多いということなんでしょうね。

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左が長年愛用してきたプラスチック容器 右が新しいガラス容器

TANICA ガラスポット ガラス製内容器 ※ヨーグルティアS(YS-01)、ヨーグルティア(YM-1200)、KAMOSICO(KS-12)専用

 


先日、プラスチック容器の煮沸消毒や熱湯消毒について触れました。「プラスチック・フリー生活」の著者であるご夫婦が、母乳を保管する必要があった時「命の素となる液体を煮沸消毒したプラスチック製の哺乳瓶に入れるのはまっぴら」とガラス製の哺乳瓶を探した話。

 

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 私もこれを読んで、ヨーグルティアのガラス容器を買うことにしたんです。

 

ところがですよ~。いざ捨てようとするとね。なんだか辛くて悲しい・・・。長年使ってきたから自分でも驚くほど感謝の気持ちがあふれてきて・・・。

 

感傷だとはわかってるけど、、、プラスチックは環境にも健康にも悪い、減らさなければいけないとわかっているけど、、、。

 

このプラスチック容器があったから、豆乳ヨーグルトや甘酒が作れたんだよなぁ。家族の健康を支えてくれたんだよなぁ。何百回も熱湯消毒に耐えてくれたんだよなぁ。

 

子供染みた感傷ですが、新しいガラス容器が来たから「ハイ、さようなら」と昨日まで使っていたものをゴミにするのが、実に辛いんです。

 

特に最近は「物にも意識がある」という考え方に傾倒しているので、「ボクはもう要らないんですね、、」と小さな声で言われているような気がして。ああ物を捨てるってなんて傲慢な行為なんだ!

 

私がその考え方に大変共感し、尊敬している稲葉耶季さんも言っている。

 

「たとえば、植物が意識体であるということは、比較的理解されやすいですよね。しかしコップとかパソコンとかになると意識を持たないものと決めつけがちです。」

「根本的にすべての存在が意識を持っています。それは量子論でいえば当然の帰結。でもそれをいまの人は感じなくなってしまった。」(「こっちの世界、あっちの世界」より)

 

こっちの世界、あっちの世界

 

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前にもよくこんな気持ちになりました。10年ぐらい使っていた傘が強風に煽られて、一瞬で傘の骨と柄の部分が大きく歪んでしまったのです。もう使えない。わかっているけど、捨てるのは辛かったです。

 

以前電車にその傘を置き忘れてしまい、駅で調べてもらったら終点の駅で保管しているとのこと。「取りに行かれますか」と聞かれたけど、往復で交通費が3,000円ぐらいかかるので着払いで送ってもらいました。

 

無事に我が家に戻って来た時は「おお、よく帰って来た~」という感じでした。そんな傘ですから、捨てた後も「ああ、もうあの傘はないんだよなぁ」と淋しい気持ちになりました。

 

愛着という言葉があります。確かにそういう物には想い出があるから捨てづらい。でも、プラスチック容器に愛着があるかと聞かれれば、別にそうでもないんです。だから私もガラス容器に買い替えることにしたんですけどね。

 

それでもいざ捨てるとなると、使っていたものが「ただのゴミ」になるという嫌な感覚があって・・。

 

夫は私が断捨離したものを、こっそりまた拾ってきて庭で使っていたりするので、このヨーグルト容器も庭の道具の仲間入りをするかもしれません。それじゃ脱プラスチックにならないよ~家の中をただ移動しただけ・・。

 

物にも人間にも別れ時がある。引きずらないで別れ際を潔く!そうしないと前に進めないから、そう自分を納得させることにしました。