薬草学の母、中世最大の賢女と言われる聖ヒルデガルト・フォン・ビンゲン。
「祈りの人だった」と言われます。
そんなの当たり前じゃない、修道女なんだから。初めはそう思いました。でも「じゃあ、何をそんなに祈っていたのか」と、ふと疑問に思いました。
幼い頃から体が弱く、生涯を通してずっと病弱だったヒルデガルト。そんな体で、圧倒的な男性優位の時代に権力者にもひるまず闘い、多くの書物を書き残し、修道院を解放して弱者の救済に当たるなど、81歳で亡くなるまで精力的に活動した。
間違いなく、他者のために祈ったのでしょう。そして生きとし生けるもの、全ての存在とこの世界のために。
あらためて「祈り」について考えたときに、自分は日常で祈ることは全くなかったなぁと思い知りました。初詣のときに、家族の健康をお祈りするぐらい。ほんの数秒間。ましてや知らない誰かのためや、地球のことを祈ったりすることはありませんでした。
ヨガの先生はレッスンの前と後にいつも祈っていました。
「世界が平和でありますように。この地球が愛で満たされますように」
私はレッスンを通して先生の人間性に触れていたので、この直球とも言える祈りは好きでしたが、人によっては「胡散臭い」「強要されたくない」と不快に感じていた人もいたようです。日本人はストレートな表現は苦手ですからね。
私もアファメーションを唱えていた時がありました。自己実現のための肯定的なアファメーションや新月の浄化のアファメーション。潜在意識に届くように現在形で。
「願いはすべて叶っています」
「豊かさを手に入れています」
でも今ははっきりとわかります。笑ってしまうぐらいエゴだったなと。エゴから出発した祈りは、祈りじゃない。何が豊かさだって、恥ずかしい。
それでも自分なりに、人のために何かしたいという気持ちはありました。
白鳥哲監督の「祈り~サムシンググレートとの対話」という作品があります。遺伝子学者村上和雄氏を追ったドキュメンタリー映画で、数々の賞も取っています。
映画によると、「祈り」についての科学的な研究は、欧米ではすでに50年~60年の歴史があり、すでに実験の結果が科学的な裏付けを得ているそうです。
たとえば、1988年の心臓外科医ランドルフ・バード氏による祈りの実験。心臓病患者393名を対象に、半分の方を祈り、残り半分を祈らないという実験を10ヶ月行った結果、祈られた患者グループの抗生物質、人工呼吸器、人工透析器の使用量が激減。
2009年の実験では、スリランカで内戦があった時に、ウェブで呼びかけて、全世界18,000人が「スリランカが平和になりますように」と祈ったら、直後から死者数が74%、負傷者数が48%減少し、その後もずっと減少が続いた。
祈りは目には見えないけど、時空を超えて届くということなんでしょうね。祈りが集合すれば、そのパワーも増大する。
今欧米のホリスティック科学の世界では、祈りを始め意識の力についての研究が応用段階に入り、医療現場で使われているそうです。笑うだけでナチュラルキラー細胞が増える話はよく知られていますよね。
INORI-Prayer-Conversation With Something Great
白鳥監督は次のように語っています。
「意識の力が集まると地球全体を変容させる力がある」
「エゴではない、地球の調和を目指した「意識」ができたら、人類は大きく変わる」
やっぱり「エゴではない 」というところがポイントなんでしょう。
そしてなるほどなと感じたのは
「日本人は自然と感知しやすい民族だ」という話。
日本語は「ありがたい」「もったいない」「おかげさま」「いただきます」など、主語が常に自然や天にあるんです。おのれじゃない。私たちはそういう言葉の感性をもっているんです。
私は、 白鳥監督の「僕は地球が大好きなんですね」という語りが大好きなので、またここに紹介します。何回聞いても癒される~。
今日は祈りについて私なりに考えてみました。国や民族、宗教によって祈りの形は違うけど、太古からずっと続いている祈り。いちばんシンプルで、お金も場所も要らない。
「地球が愛で満たされますように」なんて直球の祈りはとても照れくさくてできない。だから祈りの言葉もスタイルも自由でいい。無理しない。まずは小さな祈りを宇宙空間に飛ばしてみようかな(ただし、エゴじゃなく)