ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

七草粥と七草爪のまねごと

1月7日は人日の節句で七草粥を食べる日だ。実は私の誕生日でもあるので、子供の頃は「誕生日なのにお粥~⁉」と文句ばかり言っていた。

 

歳を重ねてからは七草粥の美味しさが体に沁み渡るようになり、毎年恒例の行事になっている。今年は食べるだけでなく、七草爪もやってみようと張り切っている。

 

きっかけは「日本橋木屋 ごはんと暮らしの道具」という本で見た江戸時代の絵。「七草粥」というタイトルで、「江戸時代、将軍家でも七草粥が食べられ、第一夫人が草の露で濡らした爪で、七草を切って食べる習わしがありました」とある。

第一夫人、という言葉にも引っかかったが、七草粥と七草爪についてもっと知りたくなった。

 

よく「新年を迎えてから七日までは爪を切ってはいけない」と言うが、それは昔は今のような爪切りなどなく、小刀のようなもので爪を切っていたので、万が一失敗し血でも流れたら「お正月を血で穢す」ことになるからだそうだ。

 

さて、新年最初の爪切りである「七草爪」だが、やり方はいろいろあるようだ。七草を水に浸したボウルに指を入れる、七草をゆでて冷ました汁に指を入れる等々。要は水分で爪を柔らかくしてから切るということだが、そこに七草のパワーをいただくのだ。

 

私は先ほどの本の中にあった「粥の重湯を手足の爪に擦り込むことでも病気を防ぎ、邪気を祓うとされていた」という記述が心に響いたので、それをやってみることにした。

 

まずは七草だ。都会暮らしという言い訳をしつつ、毎年スーパーで七草セットを買ってしまう。今年は目を疑うような値段、ひとパックなんと598円だった。値上げの波が七草にも及んでいるとは。

七草を水に浸けて洗う。七草爪のやり方として、ここに指を入れる?普通に七草を洗う時に指も水に浸かってるんだけど、、。きっと自然の恵みに感謝したり、無病息災を願ったりと、浸す時の心持ちが違うんだろうな。

七草を切っていく。「切る」とか「刻む」とか言わずに、「叩く」と言う。七草をまな板に並べ、「七草囃子」を口ずさみながら包丁で叩いて願う。

 

「七草なずな 唐土の鳥が 日本の土地に 渡らぬように ストトントン ストトントン」(中国からの渡り鳥が農作物に悪さをしないように)

数年前に、ハーブ王子こと山下智道さんの七草粥のワークショップに参加した。その時、みんなで一緒にこの「七草囃子」を謳いながら七草を叩いたので、これはイメージできる。

 

1種類の草につき1つの道具で7回叩き、合計49回叩くと言うが、七草粥も昔は本当に神聖な儀式だったんだなと感じる。邪気を祓い、無病息災を願う行事が日常の中にたくさんあった。

 

コトコトとお粥を炊き、最後に塩と青菜をさっと加えて蒸らしたらできあがり。爪に擦り込むための重湯もしっかり別に取っておいた。

毎年、誕生日は七草粥。最高のご馳走だ。

 

さて、今年はこの日のために伸ばしていた爪をやっと切ることができた。1月7日に爪を切ると、邪気を祓い、一年中風邪を引かないと言われている。

 

重湯を指先、爪に擦り込むと、不思議な感じ。ぬるっとするけど、嫌な感じではなく優しい温かさに包まれた安心感がある。お腹に優しいものは、当たり前だけど爪にも優しいのだ。

 

江戸時代、豊国三代による「春遊娘七草」と題する錦絵には「七草の寄せ植え」「七草たたき」「七草爪」の様子を描いたものがある。検索すれば見ることができるが、実際に江戸時代にはこんなことが行われていたのかと思うと、タイムスリップして覗いてみたくなる。

 

平安時代の「菊の被綿(きせわた)」を始め、花や草についた夜露、朝露が昔の行事にはよく出てくる。自然の持つ神秘な力が露に宿ると信じられていたのだろう。そう考えると「第一夫人が草の露で濡らした爪で七草を切る」というのも、大切なしきたりなのだと想像できる。

 

現代に暮らし、スーパーで七草セットを買うような生活だけど、いにしえの暮らしに思いを馳せながら、これからも「真似事」は続けてみたい。楽しくて、ワープだってできそうなくらいだ。

 

 


日本橋木屋 ごはんと暮らしの道具  十二ヶ月の小さなならわし

 

 

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