「違うことをしなければ、違わないことがちゃんと返ってくる」
これは、吉本ばななさんの「花のベッドでひるねして」という小説の中に出て来る言葉です。
私はばななさんが大好きで愛読しているのですが、小説の中に直球で胸に飛び込んでくる言葉が多すぎて、線を引いたり、ノートに書き留めたりするものだから、なかなかストーリーに没頭できないんです。
「違うことをしない」ってどういう意味なんでしょう。
主人公である幹のおじいちゃんはたいそう不思議な人で、欲しいものがいつの間にか手元にやってくる「引き寄せの名人」です。小さなB&Bをしているのですが、魅力的なおじいちゃんのもとには口コミで旅人が集まってきます。
実は幹は海辺に捨てられていた赤ちゃんだったので、本当のおじいちゃんではありません。おじいちゃんは、子どもを授からないまま初期の癌になって子宮を失った娘のために祈ります。
「娘に赤ちゃんが授かりますように」
するとある日、彼女は「なんだか海で赤ちゃんが私を待ってる気がする。走って行かなきゃ」と一目散に海へ向かい、本当に捨てられていた赤ちゃんを抱えて涙を流しながら戻って来たのです。運命のようにやって来た赤ちゃんを、家族は神聖に迎え入れます。
後に、おじいちゃんは幹に言います。
あんな来方で来るとは思わなかったけど、おまえはやって来てくれた
人はおじいちゃんを引き寄せの名人と言いますが、おじいちゃんはそれは違うと言います。
引き寄せっていうのはつまり、欲の問題だろう?でも、俺のはそれじゃないんだ。欲がないところにだけ、広くて大きな海がある。海には絶妙なバランスがある。
そして「違うことをしないこと」が一番大切で、引き寄せてるわけではなく「違うことをしなければ、ただ単に違わないことが返ってくるだけ」だと言います。誰でもできるよ、と。
じゃあ「違うこと」って何なのかって考えますよね。どうやら自分の本心からズレることを指すようです。それも毎日の生活の中で繰り返し起こるちっちゃなズレ。
心の奥底で違和感を感じながらも「まあ、いいか」と受け流してしまったり、安易に人に合わせてしまったりすること。
おじいちゃんはそれを「十円、百円と借金をするように『違うこと』をしている」と表現し、借金が膨らんで「違わないこと」が来なくなってしまうと言います。
毎日のほとんどのことは、まるで意地の悪いひっかけ問題みたいに違うことへと誘っている。
小説はいつも吉本ワールドが炸裂しているので、「違うこと」の抽象度が高いのですが、もっと具体的にわかりやすく書かれているのが、こちらの本。白井剛史氏も登場し、スピ達人同士の対談がとても面白かったです。
毎日の生活はノイズが多いから、ついつい違うことをしてしまい、どんどんズレていって、何が自分の魂が喜ぶことなのか見失ってしまう。
たとえば、何かのお誘いがあった時に「なんとなく気が進まないな」と思う。でも「これは義理だから行っておこう」とか「いつか役に立つはず」なんて思って行っちゃうのは「違うこと」だそうです。
とりあえず「なんかいやだ」と思ったら、その感覚をスルーしない
上司のような自分にとって強制力のある人から「今日はステーキ食べに行くぞー」って言われたけど行きたくない場合、「違うことをしない」ようにどう対処するかがその人の個性。
・ベジタリアンなのでとはっきり断る
・一口食べて「ううっ」とトイレに駆け込み、そのまま帰る
・おなかいっぱいなので半分しか食べられないと言う
私は長年ヴィーガンなので、この解説は経験上すごくわかりやすかったです。こんな場合、無理してお肉を呑み込んでいました。「美味しいですね」とまで言っていたかも。完全に違うことをしていましたね。
本物の達人になると、宇宙タイミングで会食がキャンセルになったりするそうです。
ズレていることを続けていると、それを反映したズレたことが返って来る。違うことをしないでいると、ピタリと一致するものが返って来る。それは強く願って引き寄せるものではなく、ごくごく当たり前の法則。
本当に厳密な、よく出来たシステムだなと思う。まさに、宇宙の法則。
毎日の生活は選択の連続ですが、どんな小さな選択でも心がざわざわしたら、きっと「違うこと」なのでしょう。それにきちんと向き合って「違わないこと」へ修正するクセをつけていけば、自然と自分が望むことが起こるようになってくる。
気遣いが美徳だったり、なかなかNOと言えない気質を持つ日本人の社会ではちょっと難しいようですが、ばななさんは次のように言っています。
とりあえずたった今、素直に本当にやりたいこと、ほしいものは何ですか。まずは、そこから始めていきましょう。