ロシアの文豪トルストイ。名前だけはもちろん知っています。もしかしたら子供の頃に世界文学全集か何かでちょっとは読んだことがあったのか・・。残念ながら記憶がありません。
ところが、ここ1ヶ月の間にトルストイとの邂逅が(大げさ)3度もあったので、自分でもどういうことなのか不思議なんです。そこでちょっとまとめてみることにしました。
ヴィーガンのトルストイと出会う
以前ビーツの記事を書いたときに色々ビーツ料理について読んでいたら、たまたまロシア料理のボルシチのところで、「50歳を過ぎてヴィーガンになったトルストイ」という文が目に留まったんです。
ロシアと言えばボルシチを始め肉食のイメージがあったし、今でこそ脱肉食の流れがありますが、19世紀のロシアでは菜食は珍しかったのではないかなと思ったわけです。
ロシアの文豪としか知らなかったトルストイに、ちょっとだけ親近感を覚えました。私のように若い頃からヴィーガンだった人間とは違い、50歳を過ぎて肉食を止めるなんて、どんな心境の変化があったのでしょうか。
大地主で大金持ちの貴族であったトルストイ。狩猟が大好きで肉も好んで食べていたそうです。しかし晩年は田舎に引っ込み、朝4時から起き出して農業をし、名声や富をいっさい拒否して著作権さえ何度も放棄しようとしたそうです。(妻が反対して思い通りにはいかず)
参考はこちら↓
[異界見聞録1+2]なぜ「ベジタリアン?」世界史人・日本史人の謎
文豪ではなく人間トルストイの人生に一瞬興味を覚えたものの、すぐに忘れてしまいました。
民話のトルストイと出会う
先日「喉が渇く前に井戸を掘りなさい」を調べていた時に、たまたま素敵なお話に出合ったのです。
簡単にあらすじをまとめると
ある村で日照りが続いて、女の子のお母さんは病気になりました。
「ああ、水が飲みたい、水が飲みたい」と言います。
女の子はお母さんのために水を探しに出かけ、目の前に水の入ったひしゃくを見つけます。
自分ものどがカラカラで、水が飲みたいのに女の子は我慢します。
自分は飲まずに、途中で出会ったイヌ、お母さんに水をあげるのですが、その度にひしゃくが銀に変わり、金に変わるのです。
ひしゃくに残った最後の水も、知らないおじいさんにあげてしまい、結局女の子は水が飲めずじまい。ところが空っぽのはずのひしゃくから、こんこんと水があふれ、キラキラ光るダイヤモンドが七つついているではありませんか。女の子が水を飲むと、ひしゃくは空へ飛んで行ってひしゃくの形の星座になったというお話。
自分のことを後回しにして人を助ける、そうやって人を幸せにする気持ちがあると最後にはきっといいことがある、当たり前のことなのにちょっと忘れてしまっていたようなお話。
ところが、そのお話を書いたのがあの文豪トルストイだと後から知ってびっくり。
トルストイは50代半ばで、今まで書いてきた「戦争と平和」や「アンナ・カレーニナ」などの大作を否定し、「これからは民衆とともに生き、民衆の言葉で、簡素に、わかりやすく書こう」と決心したそうです。そして民話を次々に書いていきます。「イワンのばか」はこの頃完成します。
探求する聖者トルストイと出会う
3度目の出会いは書店でした。久しぶりに大きな書店に行ったので、ゆっくりといろいろなコーナーを見て回っていたら「漫画トルストイ」が目に入ったんです。思わず手に取ると、なんとコロナがらみの本でした。
「ウィズコロナの現代に文豪の名作が蘇る!」
何故コロナとトルストイ? 我慢できずにその場で立ち読み(失礼~)
漫画はいきなりコロナ禍の現在の状況から始まります。そして真ん中にトルストイの「人は何によって生きるか」という民話が挟まれ、最後にまたコロナ禍の現在が描かれます。
本の表紙の帯には「人間は明日の命があるかどうかも知らない。自分以外の誰かを思うことがあなたを幸せにする!」とあります。
愛の意味を知り、生きる力を得るーーーコロナ禍の現代人必読
貧しい靴屋のセミョーンは、ある日雪の中、裸で行き倒れている青年を見かけ、放っておくことができずに家に連れて帰ります。ただでさえ貧しい暮らしの中、そんな見ず知らずの青年を連れてきたので、妻のマトリョーナは怒りますが、結局夫婦はこの青年に食事を与え住まわせることになるのです。
実は彼は堕天使で、神様から与えられた「三つの命題」の答えを見つけるまでは天上に帰れない身だったのです。
- 人の中には何があるのか
- 人に与えられていないものは何か
- 人は何によって生きるか
靴屋の夫婦と暮らす6年間の中で、堕天使は命題の答えを見つけます。そして最後には背中から羽が生え光の中、天へと帰って行くのです。
堕天使が見つけた答えは、一言で言ってしまえば「愛」です。もともと人の心の中にあって、人と共に生きることによって気づく愛の存在。そして、与えられていないものは「自分の死を知る力」。だからこそ自分がいつ死んでも悔いのないような生き方をしなければならない。
トルストイは82歳の時、妻に別れの手紙を書き家出します。そして列車の中で肺炎にかかり、アスターポヴォという小さな駅で永眠したそうです。
彼は晩年農業をして生きるなか、何度も自分の領地や著作による収入を放棄しようと試みたそうですが、周囲の反対にあってかなわず「私はもはやこのようなぜいたくな境遇の中で生きていくことはできない」「逃げだしたい、消えてしまいたい、と思うほど心が痛む」と家を出たそうです。
最後の最後まで、どう生きるかを考え続けた人だったようですね。不思議なことに、このひと月の間に3度も目の前に現れたトルストイ。時代は移り変わっても作品は残る。これも何かの縁なので、少しずつ読んでみようと思います。