昨年9月、ひょんなことから偶然立ち寄った神戸布引ハーブ園。すごく気に入って、新緑の季節に必ずまた来ようと強く思った。そして今回実現した神戸一人旅。1日目は広大な敷地のハーブ園でゆっくり過ごし、2日目は北野異人館を巡る1泊2日の旅だ。
布引ハーブ園については前回こちらにまとめて書いた。展望レストランでエディブルフラワーを恐る恐る完食した話など。
今回の旅のお楽しみは、ヴィーガンカフェ「喜雨」を訪れること。旅先でヴィーガンのお食事をいただくのはなかなか難しい。ヴィーガンレストランがあっても中心地から離れていたり、定休日と重なっていたりして。
以前高知県の「モネの庭」を訪れた時は、「今日は団体客で予約がいっぱいのため、ヴィーガンメニューはご用意できません」と言われ大ショック。ホームページにあったヴィーガンランチを楽しみにして来たのに。
だから今回は「喜雨」の定休日、営業時間、場所などを事前にしっかり確認し、ぐるなびで予約してやって来たのだ。
しかし、旅というものは予想と全く違う展開になったりする。
1日目はハーブ園でゆっくりする予定だったのに、欲張って三宮と元町の方まで繰り出して、完全に歩き過ぎ。翌日は朝から膝に痛みが走り、体全体が疲労感でぐったり。一歩も歩けないんじゃないかと思うほどだった。ああ、やってしまった。
最悪どこも見れなくても、ヴィーガンランチだけ食べられればいいと、取り合えず北野異人館エリアを目指した。ホテルから歩いて15分ぐらいの距離だけど、亀の歩みでゆっくり歩く。まずはスタバで休憩だ。
北野異人館のスタバはこんな外観。すっかり街並みに馴染んで異人館風だ。
外国人観光客で混雑しているスタバ。隣に座った韓国人の高齢女性が「ヒムドゥロー、ヒムドゥロー(きつい、しんどい等)」と言って脚を叩いていたので、心の中で共感。
ランチの予約は開店の11時半。そんなに長くスタバにいられないので10時半には外に出た。普通に歩けば10分で着いてしまう距離だけど、とにかく時間をかけて休み休み動こう。萌黄の館の前のベンチで休憩。
すぐそばの風見鶏の館のベンチでまた休憩。日差しが強くなってきた。
なんと途中に北野天満神社があるではないか。ググってみると、
1180年に平清盛が建立し、北野の地名の発祥となった神社
学問の神様菅原道真公が祀られ
小鳥のさえずりと風の音だけが聞こえる杜からは
神戸の街と港が一望
まさしく「天空の神社」がここにあります
(公式ホームページより)
「天空の神社」という言葉にぐっと惹かれてしまった。お参りしたい。でもこの急な石段は痛む足には過酷だ。絶対やめたほうがいい。体が無理だと言っている。
由緒ある神社の石段を前にして、「旅は一期一会だし」「カフェはここから5分もかからない」「まだ40分もある」という考えが私の頭の中をさーっと駆け巡り、気がつくと膝の痛みをおして石段を登り始めていた。この選択が完全に間違いだったとすぐ後で気づくことになるのだが。
喜雨の看板を見つけた。やった、やっと来た!もう歩かなくていい、あとは食べるだけだ。
喜雨は路地裏にある古民家レストラン。
さっきまでの観光客のにぎわいが噓のよう。細い路地の奥に静かにたたずむ、まさに隠れ家カフェだ。
私と同じ11時半に予約した家族連れが先に待っていた。奥の2人席に落ち着き、有機野菜プレートランチとデザートのスイーツ、ラズベリーティーを注文した。
膝の痛みから解放された途端に、自分がひどく消耗していることに気づいた。体力を使い果たし、疲れがピークに達してしまったようだ。食欲が全くない。あれ、おかしいな。
前菜のサラダが運ばれてきた。手作りの人参+柑橘のドレッシング。
なんか体が生野菜を受け付けない。どうしたんだろう。こんなことは初めてだ。箸を持つ手も重く、美味しいはずの柑橘の酸味がつらい。
なんとかサラダは完食したけど、メインが運ばれてきた時に、これは本当にヤバいかもと怖くなった。かなりのボリュームだったのだ。
この他にさつま芋入りの玄米ご飯とズッキーニのスープ。こちらも良心的なたっぷりの量だ。
お料理は手が込んでいてすごく美味しそうだった。なのに体はお粥も受け付けないぐらいに疲弊していた。
私は自分の体の異変に驚いた。こんなことは今まで経験したことがなかった。どんなに疲れていても食欲がないなんてことはなく、もりもり食べて治すタイプだ。なのに今、大好きなヴィーガンのお料理をひと口も食べられそうもないのだ。
どうしよう。
どうしたらいい。
無理して食べて、もっと体調が悪くなったら。
お店に迷惑をかける事態になったら。
せっかく予約して楽しみに来たのに、こんなことってある?
体を酷使したバチが当たった?
お店の人に事情を話し、平謝りに謝って、このまま食べずに帰ろうか。でもあまりに失礼じゃないか。
とりあえず、スイーツとティーは今のうちにキャンセルしておこう。そしてゆっくり、ゆっくり、食べられるだけ食べようと決めた。まずは玄米ご飯をほんのひと口だけ口に入れ、100回ぐらい噛む。大げさでなく、本当に100回ぐらい。
こんなふうにしっかり噛んで食べることなんて、すっかり忘れていた。ひと口、そしてまたひと口。やさしい味のスープもいっしょに。
30分ぐらいかけて、玄米ご飯とスープを食べた。あとはおかずだ。体と相談しながら、ナスをひと口、かぼちゃをひと口とゆっくり食べる。この時はまだどれだけ食べられるかわからず、とにかくお店の人に申し訳ないので、残す量はできるだけ少なくしたいと思っていた。
不思議なことに、玄米のパワーが体に行き届いたのか(そんなに速く届くはずはないけど)少しずつ体が落ち着いてきて、もしかしたら全部食べられるかもと感じ始めた。
そして1時間ぐらいかけて、なんとか残さず完食することができたのだ。本当によかった。最初に料理を前にした時は、ひと口も食べられそうになかったので、帰ったらすぐに謝罪の手紙を書こう、そんな思いまで巡らせていた。
「旅の疲れが出てしまっていたのですが、お食事で生き返りました。ありがとうございました」と挨拶し、喜雨を後にした。間違いなく、このお料理に救われた。
なんだか、いろいろと思うところが多い旅になった。やっぱり体が資本、体を大切に、体が喜ぶことを。思考は過去や未来へと彷徨うけど、体だけは常に「いま・ここ」にあり、現実のみを生きていると改めて思った。
今はすっかり旅の疲れも取れたので、「ああ、スイーツ食べたかったなぁ、食べられたかもしれないのに早々とキャンセルしちゃって」と、心は早くも過去を彷徨い、体が大ピンチだったことなんかすっかり忘れてしまったようだ。我ながら情けない。