ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

宮沢賢治の童話「氷河鼠の毛皮」

私が子供の頃に抱いていたお金持ちのイメージは「毛皮のコートを着た人」だった。だが時代は変わった。アルマーニを皮切りに、グッチなどの高級ブランドが次々と毛皮の使用廃止を宣言し、世界の潮流は「NO Fur」へ、毛皮はもはや時代遅れとなったのだ。

 

今から遡ること100年、アニマルライツ(動物の権利)が叫ばれている現在から100年も前に、宮沢賢治は「氷河鼠の毛皮」を発表している。なんという先見の明の持主だろう。「フランドン農学校の豚」について書いた時も感じたが、本当に時代を先取りしすぎていて誰もついて来れなかったのではないか。

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このお話も「フランドン農学校の豚」と同様に、人間の残酷な動物利用を上から目線で批判するのではなく、「風が運んで来たどこかのお話」という形をとって遠回しに描いている。

 

物語の舞台は汽車の中。吹雪舞う12月、イーハトヴから乗り込んだ乗客たちは北極近くのベーリングに向かう。

 

乗客の中でひときわ目立つのが、顔の赤い肥った紳士タイチ。毛皮をいっぱい着込んで二人分の席にどっしりと座っている。しかも手には立派な鉄砲を持って。

 

向こうの隅には痩せた赤ひげの人がきょとんとすまして座っている。

 

窓の側には帆布の上着を着た船乗りの青年が座り、微かな口笛を吹いている。

 

この3人が物語のキーパーソンだ。

タイチは自分の防寒について側にいる紳士に語り始める。

イーハトヴの冬の着物の上に、ラッコ裏の内外套ね、海狸の中外套ね、黒狐表裏の外外套ね

どうやらいろんな動物の毛皮をたくさん着込んでいるようだ。

それから氷河鼠の頸のとこの毛皮だけでこさえた上着ね

なんと氷河鼠450匹分だという。それには聞いていた紳士も「ぜいたくですな」と驚く。

さらに「黒狐の毛皮900枚を持って来てみせるというかけをした」という。旅の目的は黒狐の狩猟なのだ。だから鉄砲を持っていたのだ。

 

この男は動物虐待という自分の行為にまったく気づいていない人物として描かれる。おまけに他の人の毛皮を「ほんとの毛皮じゃないな。にせものだ」と馬鹿にする。

 

そして窓から月を見ている船乗りの青年にも「おい、君。その帆布一枚じゃとてもやりきれたもんじゃない。僕のを一枚貸してやろう」と声をかけるが、全く無視され怒ってしまう。

無礼なやつだ君は我輩を知らんか。わしはねイーハトヴのタイチだよ。イーハトヴのタイチを知らんか。こんな汽車へ乗るんじゃなかったな。わしの持船で出かけたらだまって殿さまで通るんだ。

そんなやりとりに聞き耳をたてていた赤ひげの男は、しきりに鉛筆をなめながら何か書きつけていた。

 

夜がすっかり明けた頃、突然汽車が止まり、事件が起こった。

 

外から変な仮面をかぶった白熊たち20頭が、ピストルを持って汽車の中に押入って来たのだ。先導するのは、あの赤ひげの男。彼はスパイだったのだ。

こいつがイーハトヴのタイチだ。ふらちなやつだ。(中略)これから黒狐の毛皮を九百枚とるとぬかすんだ、叩き起こせ。

タイチは首根っこをつかまれ、外に引きずり出される。次に、岸に電気網を張るなど動物虐待をした人が連れて行かれた。他にも毛皮を来た人が連れて行かれそうになったが、赤ひげが「ちがうちがう。あれはほんとの毛皮じゃない」と言ったので、難を逃れた。

 

その時、ピストルがズドンと鳴った。

 

あの船乗りの青年が、赤ひげのピストルを奪ったのだ。でも誰も傷つけてはおらず、落ちたのは帆布の上着だけ。そして叫んだ。

おい、熊ども。きさまらのしたことは尤もだ。けれどもな、おれたちだって仕方ない。生きているにはきものも着なけあいけないんだ。おまえたちが魚をとるようなもんだぜ。

青年は体を張って仲裁に入ったのだ。そして白熊たちに囚われた毛皮のタイチを解放するように頼む。

あんまり無法なことはこれから気を付けるように云うから今度はゆるして呉れ。

白熊たちは納得し、タイチは助けられ、赤ひげも笑って船乗りの手を握り、汽車から降りた。長い間人間に苦しめられてきた動物たちは覚悟を決めて反逆を試みたが、帆布を着た青年によって結局止められたのだ。

 

私はこのお話を読んだ時、すぐに「雨ニモマケズ」の最後の方のフレーズを思い出した。

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

「北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろと言い」

 

争いはつまらない。賢治の思いはこの青年に託してあるのだろう。帆布とは、綿や麻で作られた布のこと。青年が帆布の上着を着ているのが象徴的だ。

 

氷河鼠というのは実際にはいない鼠で、賢治の造語だそうだ。本の解説によると、めったにいない貴重な生き物という意図があったのかもしれないということだ。また、ベーリング海あたりの北極圏では、かつて動物の毛皮の買い付けがさかんに行われたという。

 

物語のテーマは揺るぎなくはっきりしているのに、決してそれを強く主張はしない。善悪を簡単に分けて「善」の立場から語ることもしない。お話が風に吹き飛ばされて来たことにしてあるのも、賢治の深い意図があるのだろう。改めてすごい人だなと思う。

 

前にも引用したロジャー・パルバース氏の言葉をまた書いておきたい。

「宮沢賢治は21世紀の良心を持つ19世紀に生まれた人間だ」

 

 

 

 

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