ずっとヴィーガン暮らし

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宮沢賢治の童話「フランドン農学校の豚」

宮沢賢治の童話「フランドン農学校の豚」を読んだ。ある農学校で飼育されている知能のある豚が屠殺されるまでのお話で、豚が自分が殺される「その日」におびえながら過ごす姿を描いている。

 

折しも佐賀県では豚熱が発生し、1万頭の豚が殺処分されたばかりだ。

 

殺害の瞬間の描写もあり、あまりに残酷で哀しいお話だが、賢治が亡くなった翌年(1934年)に発表された作品だというから、賢治の先見性には驚いてしまう。

 

2008年に第18回宮沢賢治賞を受賞したロジャー・パルバース氏は「(おそらく)世界で初めての、動物の福祉をメインテーマに書かれた物語」と指摘している。(ウィキペディアより)

あらすじを簡単にご紹介していこう。冒頭原稿は消失しているので、いきなり物語が始まる。

語り手が大学生たちに「フランドンの農学校の豚」の物語を聞かせるという体裁で書かれているので、残酷な場面の前には「大学生諸君、意志を鞏固(きょうこ)にもち給え。いいかな」などという文が入り、読者にも心構えを促す。賢治の構成が光るところだ。

 

フランドン農学校で1匹の豚が飼われている。品種改良の実験用で、いろんな食物を与えては豚の体の変化を観察・記録している。

 

ある日、王からひとつの布告が発令された。「家畜撲殺同意調印法」といい、家畜を殺すには、その家畜から「殺されてもいいですよ」という「死亡承諾書」と「捺印」をもらわなければいけなくなったのだ。

 

賢治の着想のすごさに脱帽するところだが、物語はそう簡単に動物保護へは進まない。馬も牛も飼い主から無理強いされ、涙をこぼしながら判を押すことになる。

 

農学校の校長も豚を説得するため承諾書を持ってやってくるが、なかなか豚に話を切り出すことができず、ひとまず諦めて帰る。

豚は「いったい何の承諾書だろう」と悶々とするが、農学校の生徒たちの会話から察するものがあり、怖くなる。

いつだろうな、早く見たいなあ。

(中略)

早くやっちまえばいいな。

また校長がやって来る。「この世界に生きているものは、みんな死ななけぁいかんのだ」と遠回しに話し始め、「お前を今日まで大事に養ってきた」と恩を着せ、「ちょっとお前の前足の爪印を押してもらいたい」と迫る。

 

豚は怖くなり、「いやです、いやです、どうしてもいやです」と泣き叫ぶ。校長はおまえは恩知らずだと怒って帰ってしまう。

 

殺される恐怖と悲しみで、豚はどんどん瘦せてしまう。畜産の教師は、校長が豚をおびえさせたと考え「一ヶ月の肥育を、一晩で台無しにしちまった」と怒る。

 

豚は痩せる一方だったが、校長は3度目には強制的に判を押させようとする。豚は泣いて抵抗するが、「その身体は全体みんな、学校のお陰で出来たんだ」と怒り出し、おびえた豚はとうとう判を押す。

 

すっかり痩せてしまった豚の強制肥育が始まる。この場面はあまりに残酷で読むのも辛い。

暴れる豚は足を縛られ、鋼の管を口にねじ込まれ、無理やり食べ物を流し込まれる。気持ちが悪くなった豚はずっと泣いていたが、この強制肥育は七日間続けられた。

 

無理やり太らされた豚は殺される前にブラシで体を洗われるのだが、そのブラシを見て豚は「馬鹿のように」叫ぶ。なんとブラシは豚の毛でできていたのだ。

 

そして豚は殺された。大勢の生徒たちの前で、畜産の教師によって。

 

ここで語り手は素に戻り、先を続けるのをやめる。

一体この物語は、あんまり哀れ過ぎるのだ。もうこのあとはやめにしよう。とにかく豚はすぐあとで、からだを八つに分解されて、厩舎のうしろに積みあげられた。

 

この物語は殺されるまでの豚の心理を中心に描かれている。そのため、豚には知能があり、人間語を流暢に話し、人間の会話もすべて理解できる設定になっている。

 

自分の運命を知った豚は、食べものが喉を通らなくなり、眠れなくなり、悔しさや悲しさがこみあげる。悩み苦しむ姿はまったく人間と同じだ。

 

賢治はなぜ、このような童話を書いたのだろう。他にもヴィーガニズムがテーマの「ビジテリアン大祭」という作品がある。自身も21歳で菜食主義者になっている。

私は春から生物のからだを食うのをやめました

(「宮沢賢治の菜食思想」より)

賢治は中学生でトルストイを耽読していたというから、トルストイの影響も考えられる。トルストイは59歳の時に肉食をやめ「この世に屠殺場があるかぎり、戦場はなくならない」という有名な言葉を残した。

 

ウィキペディアによると、賢治が花巻農学校に着任した当時の校長は肥満体で「ピッグ」というあだ名があったそうだ。そして農学校の収納祭で飼育していた豚を実際に殺す際には、この校長が「とどめの一撃」を加える役割を演じ、生徒が爆笑したというエピソードが伝えられているという。

 

なんと、賢治の実体験に基づいて書かれた物語なのだ。ヴィーガニズムという言葉がイギリスで生まれる前から、童話というスタイルでこんな物語を書いていたとは、彼の先見性に驚くばかりだ。

 

前述のロジャー・パルバース氏は「宮沢賢治は21世紀の良心を持つ19世紀に生まれた人間だ」「この男は時代から100年進んでいたのだ」と語っている。

forbesjapan.com

 

脱肉食、脱搾取の動きが世界中で広がる21世紀の現在だからこそ、この作品が再評価され、賢治の菜食思想に再び注目が集まることに期待したい。彼は進みすぎた人だったのだ。