ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

長崎被爆クスノキを訪ねて

長崎原爆の日を前に、山王神社の一本柱鳥居被爆クスノキを訪ねた。

 

ここ数年、大樹の生命力やその癒しの力に関心を持ち、大樹を訪ね歩く「大樹巡礼の旅」を続けている。きっかけは広島原爆の地で蘇ったイチョウの木の話を読んだことだった。

 

75年間は草木も生えないと言われた焦土ヒロシマの地に蘇った木々たち。折れ曲がった幹から、黒焦げの枝から、幹も枝も失った土の中から芽を出して蘇ったという。イチョウの葉はなかなか扇形に戻らず、歪んだ形の葉が出続けたと知り、涙が止まらなかった。

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被爆樹巡礼

今回訪ねた大樹は長崎の山王神社にある「被爆クスノキ」で、福山雅治氏の楽曲「クスノキ」のモデルになった木だ。山王神社は爆心地から約800mに位置し、原爆により正殿や社務所など建物全てが跡形もなく焼失したという。(昭和25年に再建)

 

神社に向かう参道には「一本柱鳥居」「片足鳥居」と呼ばれる二の鳥居が立っていた。

遠くから目にした瞬間、その痛ましい姿に思わず息を吞んでしまったが、まさに生き残って、今も立ち続けているという存在感のすごさを感じた。長崎の被爆遺構だ。

熱線により鉱物が溶け、刻字が読めなくなっているというから、原爆の威力はいかばかりか。それでもこうやって一本柱で残っているとは奇跡のようだ。

 

倒れた方の柱もすぐそばに横たわったまま残されていて、見ることができる。

割れてしまった額束(がくつか)

説明板も設置されていた。

被爆直後から、猛火を逃れて山を目指した人々が続々とここを通過して行ったという。その時から今までずっと、この鳥居が同じ場所に片足で立ち続けていると思うと、その歴史の重みに言葉もない。

 

山王神社の入り口には2本のクスノキが静かに立っていた。「ああ、これが、、」と実際に目にして思わず手を合わせた。前もって資料を読んで来たので「黒焦げになった幹」「ガラスや石が幹に食い込み」などの言葉が脳裏を過った。

原爆の熱線で焼かれ一時は枯死寸前となったが、被爆からわずか2ヶ月後には幹から新芽を出したという。

木の治療時には木の空洞の中から、無数の石が発見されたという。他にも瓦や金属などの無数の破片が突き刺さっていたというから、異常なほどのむごたらしさだ。

大変な傷を負いながらも、自らの生命力と人々の祈りでこんなに青々とした葉をつけ、空高く枝を広げるクスノキ。

涼風も 爆風も

五月雨も 黒い雨も

ただ浴びて ただ受けて

ただ空を目指し

(福山雅治「クスノキ」より)

境内には当時の写真が展示されていた。戦争を知らない世代の人間には大変貴重な資料だ。焼け野原の中に立つ一本柱鳥居。たった今、見て来たばかりなので胸にリアルに迫る。

主幹が折れ、枝葉も吹き飛ばされて黒焦げになったクスノキの姿もあった。まさに今目の前にあるクスノキがここから蘇ったと思うと、感動を通り越してそのすごさに圧倒される。

参拝を済ませて振り返ると、2本のクスノキはまるで1本の大樹のように見えた。原爆で2本とも主幹の上部が折れてしまったが、枝がたくさん四方に伸び、空中で交錯して大きな樹の冠を作っている。その姿はまるでお互いを労わり、支え合っているように見えてとても印象的だった。

くぐりぬけて来た歴史の重みから圧倒的な存在感を持つ一本柱鳥居と被爆クスノキ。「ただそこに在り続ける」ことが、どれだけすごいことなのか、そしてどれだけ人を癒すのか、そんなことをつくづく感じた旅だった。

 

 

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