まさに地球沸騰化、連日の猛暑で不要不急の外出は控えていたけど、クーラー付けっぱなしの蟄居生活もそれなりに辛いものがある。
どこか涼し気なところはないかなと、森の中のパワースポットに出かけてみることにした。目指すは佐賀県唐津市相知町(おうちちょう)にある「鵜殿の石仏群」だ。
伝承によると、大同元年(806年)空海が唐での仏教修行の帰りにこの地に立ち寄り、「漢土の霊窟にも劣るまじき法地なり」と、三体の仏様を岩肌に彫ったのが始まりとされる。(残念ながら、現在は残っていない)
現存しているのは、南北朝時代から江戸時代にかけて彫り込まれたもので、60体ほどの仏様があるという。
参道入り口に到着。暑さのせいか訪れる人の気配もない。「仏ウォーキング」という言葉に、思わず頬がゆるむ。
蝉の声が響き渡る中、石段を5分ぐらいは「仏ウォーキング」したかな、もう汗だくだくだ。やっと辿り着いたのが、どうやら正面に見える二天窟のようだ。
まさに「こんなところに」といった、奥まった場所にひっそりと洞窟があった。驚きと感動。厳かな雰囲気に身が引き締まる思いだ。さっきまで連発していた暑い、暑い、なんて俗っぽい言葉も呑み込んで。
この石仏群を代表する、最古と言われる石仏がこの中にあるらしい。ドキドキしながら中に入る。
中央に十一面観音。そしてその両脇に守護神の持国天と多聞天。異国情緒豊かな作風から14世紀、南北朝時代のものと推定されているそうだ。
もう圧巻の一言しかない。今から700年も前にこれらを実際に彫った人がいたなんて。どれくらいの時間がかかったのだろう。色もけっこう鮮やかに残っている。
左へ進むと、壁面にもたくさんの石仏が彫られていた。けっこう高い所なんだけど、どうやって彫ったのか。とにかくすごい。
こちらはどなたでしょう。右手に何か持っているみたいだけど。
こんな所にも。苔に覆われてお姿はよく見えないけど、仏様。
主窟に入ると、かなりの数の石仏が並んでいた。
そして一番奥の小堂には「相知四国第八十八番霊場札所」との表示が。
佐賀公式観光サイトによると、この鵜殿の石仏群はもともとは大きな洞窟で、その中には「平等寺」というお寺が建っていたという。当時の松浦武将の心のよりどころ、文化の華だったとも言われているそうだ。戦で寺が焼け、天井の岩石が落下して石仏群だけが残っている。
さて、参道入り口にあったのは夫婦像。室町時代のものと考えられ、松浦党の城跡の尾根から工事中に発見され、この場所に移転したそうだ。
説明板によると、像の作りが荒いので、専門の石工ではなく夫婦が自分たちで彫ったものだという。死後も離れたくないとの思いで、岩に自分たちの姿を彫り込んで、極楽浄土で一緒に暮らせることを願ったらしい。すごい、究極の愛。
「400数十年の時を超えた夫婦愛!ご利益は、恋愛成就・夫婦円満です!」と側に書いてあったのには、ちょっと笑いましたが。
佐賀屈指のパワースポットと聞いて来てみたが、歴史を十分に感じさせてくれる場所だった。どれだけの僧がここで修行したのか、どれだけの人々がここで祈ったのか。想像するだけで、なにか神聖な気持ちになった。
そして、なんと誰もいなかった!パワースポット貸し切りでした。