国連が掲げる「持続可能な開発目標(SDGs)」。そのSDGsとヴィーガンを結びつけた2つの対照的な記事を興味深く読みました。
まずは朝日新聞から。タイトルは「SDGs的な生活 無理なくできる?」で、記者の方が家族で1週間だけヴィーガンの食生活を実践した話です。
長年朝日新聞を購読していますが、SDGsと脱肉食をストレートに結びつけた記事は初めて見ました。いつも語られているのは脱プラスティック、脱炭素という切り口ばかりだったように思います。
以前「Cowspiracy サスティナビリティの秘密」というドキュメンタリー映画の話を書きましたが、この映画は「環境破壊の主原因は畜産業という紛れもない事実を、なぜ誰も語ろうとしないのか」と疑問に思った監督が、危険な目に遭いながらも真実を明らかにしていく内容です。
日本でも「地球環境への負荷を減らす鍵はヴィーガン」という考え方が、朝日新聞で取り上げられるほど浸透してきているのかと驚いたわけです。
記事は最初に「なぜ肉食を減らす必要があるのか」の説明があり、その次に記者さんのご家庭での「1週間ヴィーガン生活」の実践が具体的に語られています。
魚のだしをやめ、トマトや油揚げでコクを出した味噌汁を、3歳の娘さんは「味がしない」と全く食べなかったそうです。うちの娘も小さい時、バターや卵無しで私が一生懸命作ったヴィーガンケーキを「まずい」と言って食べなかったなぁ。わかる、わかる。
大豆ミートでカレーや親子丼を作ったり、肉の代わりに豆腐でギョーザを作ったり。大豆ミートを買うためにスーパーを3軒探しまわったり、肉や魚なしで主菜を作ろうとするとレパートリーが限られて大変だったり。奮闘のご様子が伝わってきます。
いきなりヴィーガン生活というのはハードルが高いですよね。自分一人ならまだしも、家族を巻き込んでというのは、なかなか大変です。
近所の肉屋から漂うコロッケの香りの誘惑を断つのは大変だった。また、コンビニでは動物性が含まれていないものを探すのは一苦労。未来のために「エシカル」(倫理的)に生きる難しさを痛感した。
残念ながらデジタル版では無料で読める部分は少ないです。
次にご紹介するのは、ロンドン在住の方で、畜産業の環境への負荷を知り、何度も肉断ちを試みてはいるけれど、お肉が大好きなので失敗しているという記事。
肉食をやめたいのにやめられないジレンマが日に日に大きくなるばかり。
イギリスですから周囲にヴィーガンの友人も多いようで、そんな中で肉断ちに失敗し続けているとプレッシャーもあるようです。
ビーガンやベジタリアンの友人たちと会うたび、モヤモヤと感じるこの背徳感。
SDGs的な生活をおくりたいけど、大好きなお肉は食べたい。そんな彼女が辿り着いたのは、「環境再生型農業」という地球に優しい方法で生産された、ちょっと割高なお肉を購入し冷凍保存して「少しずつ大切にスペシャルに食べる」という選択でした。
SDGs的な生活とヴィーガン。人それぞれ生きている環境や育ってきた食文化も違う中、ヴィーガンだけが唯一の正しい選択肢というわけではないのは当たり前のこと。
スローガンである「誰一人取り残さない」というのは、もちろん貧困や紛争、不平等、ジェンダーなど、解決しなければならない大きな問題を踏まえてのことだと思いますが、一人ひとりの日常の小さな選択に当てはめてもいいのかなと思いました。
私自身はヴィーガン歴が長く、ヴィーガン食が大好きなので、辛いことは何もないのですが(お付き合いの場で気を遣うだけ)無理してヴィーガンを選択して疲れてしまうのも、肉を食べることで自分を責めてしまうのも何だかおかしい。
「誰一人取り残さない」というのは、一人ひとりの選択が尊重される社会を、と解釈してもいいのではと感じました。違っているかな。