ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

恥ずかしながらシティエンジェルをやってみようか

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気になった言葉があると、所かまわずメモしてしまう。以前はきちんとそれ用のノートを作って、言葉を書き写したり、本のタイトルや著者名などをきちんと書き留めていたのだけれど、最近は手帳の片隅にさっと書いたり、ポストイットにメモったりして、そのまま忘れていることが多い。

 

先日あるサイトのパスワードがわからず、入会した頃の手帳のどこかに必ず書いてあるはずだと、2016年の手帳をめくっていたら " シティエンジェルの役をする " とメモしてあるのを見つけた。

 

んん?シティエンジェル?・・・そうだそうだ。何かの本で読んで、これはいいなと思ってメモしておいたんだ。確か、街中で見知らぬ誰かに対して、何か些細なことでいいから手を差し伸べたりする、といった内容だったと思う。

 

でも、小さな親切をしようというような単純な話でもなくて、もっと深い内容だったと記憶している。

 

エンジェルというのは、いつも人の背後にいて絶妙なタイミングでその人を助けてくれたり、守ってくれたりするけれど、その人が振り向いてもそこには誰もいない。瞬間あたたかな空気に包まれて、幸せな気持ちだけが残る。

 

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波動を上げる。要するにそんな話だ。

 

一般的には、よいことにだけフォーカスして自分の波動を上げていれば、絶妙なタイミングで宇宙からエンジェルが降りてきて、手を差し伸べてくれる。だから不安も心配もない。幸運は必然的にやってくるということだと思うが、ここではそういう話ではない。自分のための自己実現の引き寄せではないのだ

 

むしろ自分がエンジェル側になる。しかも、普通の街中で。自分の波動を上げることによって、まわりがよく見える。目に見えるものも見えないものも含めて。

 

そして今この瞬間に問題を抱えている人に手を差し伸べる。小さなこと。とても小さなことでも、見返りを期待しての行為ではないから、相手に直に気持ちが伝わる。そしてお互いの心が瞬間通い合い、あたたかい気持ちになる。場が浄化され波動が上がる。

 

私の解釈では、エンジェルというのは「私という個」を消すためのわかりやすいイメージだ。あくまでも見知らぬ人と見知らぬ人の一瞬の出会いと共鳴。ファンタジーの世界ではそこにキラキラっと星が降り注ぐだろう。エンジェルの役を演じていると思えば、恥ずかしさも消えて行動力も上がる。

 

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この街中にシティエンジェルはいるのかな

その時、よっぽど感動したんだと思う。翌2017年の年間タスクの欄に「シティエンジェルの役をする」 としっかり書いてあった。

 

書いて、終わり、でした。

 

2020年の今。完全に忘れていました。はぁ。我ながら情けない。どんなに素晴らしいことをメモしたり、思ったりしてもインプットだけじゃ、何も変わらないではないか。行動しないと!

 

最近は「シティエンジェル、シティエンジェル」と勇気を出すおまじないのようにつぶやきながら街を歩いているのですが、、。


取り合えず今日は、バス停の前で外国人旅行者が困っている様子だったので、乗るべきバスを一応教えたんだけど、マスクしてないからね~~

 

正直逃げようかと思いました。シティエンジェル修行はまだまだ続く。