ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

浮遊するこころ、「 いま、ここ 」 にあるからだ

不安の感情はどこから来るのだろう。

「ロックダウンしたらどうなるのだろう」
「もしかしたら感染しているかも」

まだ起こっていないことや何一つはっきりしていないことに対して、不安の感情がやってくる。

「あの時、マスクを買っておけばよかった」
「あのイベントに行かなければよかった」

たら・ればの感情も隙あれば入り込んでくる。

 

心は常にちょっと先の未来や過去へ浮遊する。

 

身体は常に " いま、ここ " にある。

 

どんなにワクワクすることを考えていても、今急に歯が痛み出したらどうだろう。ワクワクは吹っ飛び、何よりその痛みが優先事項になる。不安な気持ちに囚われていても、空腹に耐えられなくなれば美味しい物を口にするだろう。

 

身体は常に " いま、ここ " に ある。

そして、身体はいつも心を " いま、ここ " に引き戻してくれる。

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ヨガをする。

 

昨日より身体が動かない。
去年より身体が動かない。

 

昨日の身体は昨日の身体。
去年の身体は去年の身体。

 

いま、ここにある身体がいまを生きている。
何を比べる必要があるのか。

 

ヨガをする。

 

胸を開くポーズをしたら、涙が出た。
身体は何を記憶しているのか。
どんな感情をため込んでいたのか。
身体は不思議だ。
いま、ここに生きているはずなのに
ただ、いま " 在る " それだけなのに。

 

こころが浮遊しているのではないのかも。
浮遊しているものがこころを通っていくのかも。
浮遊する思考に囚われないように。
身体に焦点を合わせてみよう。

 

一杯のお茶を飲む。
湯呑から温かさが手に伝わる。
香りがする。
湯気が見える。
喉元を通って美味しさが染みる。
ふうっと長い息を吐く。

 

心配の感情がまたやってくるだろう。
でもお茶の温かさも間違いなく " いま " の現実なのだ。