ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

代用肉というネーミング、私にはちょっと悲しいけど

 ビヨンドミート(Beyond Meat)の大躍進で、代用肉、代替肉という言葉を聞く機会が増えたように感じます。

 

日本でも、ずいぶん前から畑のお肉、ソイミート、ベジミート、グルテンミート等、代替肉が使われるようになりました。

 

でも私は、以前からこのネーミングになんか引っかかりを感じているんですよね。なぜわざわざ「肉」という言葉を入れなければならないのかな、と。私だけでしょうかね?

 

そして食べた人の感想も


「お肉そっくり」
「言われなきゃわからないね」
「ちょっと味がうすいけど、十分いける」

 

のように、お肉を基準にしてお肉と比較して述べている。代用肉なんだから、当たり前と言えば当たり前なんですけど。

 

ビヨンドミートはこれらの代用肉とは一線を画しているらしいですよ。もう本物そっくりで、見た目も、食感も、滴り落ちる肉汁まで、限りなく肉に近いらしいですね(もちろん食べたことはありません)

 

私は子供の頃からお肉が苦手で、全く苦痛なく自然とヴィーガンになった人間なので、そもそも代用肉を使った唐揚げやハンバーグをわざわざ食べたいとは全く思いません。ハムやベーコンも嫌いだから(ヴィーガンというより単なる好き嫌い⁉)、ソイソーセージのような加工品も必要ないし、麻婆豆腐にソイミートのミンチタイプをわざわざ使うよりは、エリンギやタケノコのみじん切りを入れた方がずっと美味しいと思います。

 

だから本物そっくりのビヨンドミートはいくら植物性と言われても、たぶん無理、お肉を連想して絶対無理でしょう。(でも、そんなにそっくりだと言うなら一度ぐらいは食べてみたいけど、そもそも本物の肉の味を忘れてしまっているんだから、そっくりかどうかわからない)

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美味しそうなベジバーガー(ビヨンドミートではありません)

 

私のことはさておいて、ヴィーガンになったり、お肉をやめた人にはそれぞれ色々な理由があると思います。健康上の理由で食事制限が必要だったり、環境問題や動物愛護に対して真剣に活動する上で選択をした人もいるでしょう。そういう人にとって代用肉が生活する上で大切な役割をするからこれだけ需要があるのでしょう。

 

一般的にヴィーガンやお肉を食べない人のことを、みんなどう思っているのかな。

 

「本当はお肉が食べたいけど、我慢してがんばってる人」
「強い信念のもと肉断ちをした人」

 

私がそんなふうに感じるのには理由があります。私がヴィーガンだと言った時のまわりの人たちの反応は

 

「すごいね、意志が強いんだね」
「普通できないよ、そんなこと」
「よく我慢できるね」

 

と称賛の嵐で、こっちまで恥ずかしくなってしまうことがあるからです。(もちろん本音では変わっている人と思われたのかもしれませんが)

 

私にとって菜食は全く何の我慢もなく、100%最高に幸せな食事なんだけど、それがなかなかわかってもらえないんですよね。
「本当は食べたいんでしょ、お肉」と探るような目で言われて、心外で驚いたことがあります。やっぱり普通の人はお肉が大好きということなんでしょうか。

 

ビヨンドミートについて少し調べてみたら、ご本人もヴィーガンである創業者はやはり環境問題、環境保護の観点から「脱牛肉」で世界を変えるという高い理想と強い信念のもと、会社を創業したようです。「お肉が大好き」という人が実際に「肉を食べない」という選択をするのは至難の業でしょう。やはりビヨンドミートはそういう人たちにとっては救世主なのだろうと思うし、だからこそ欧米先進国でこれだけ需要が広がり、大人気になっているのでしょう。

 

それに比べたら私が感じた言葉の違和感なんて、たいした問題じゃないんだろうな。日本にも雁の肉と味が似ているからと「がんもどき」(雁擬き)があるように、いつの世もお肉が主役で野菜が脇役ということに対して、野菜好きのちょっとしたヤキモチでした(笑)