ずっとヴィーガン暮らし

薬草学の母ヒルデガルトに憧れて植物療法を学んでいます

ワクチンを打たないからって責めないでほしいな

長年ヴィーガンというマイノリティーで生きてきて、社会生活的にはけっこう生きづらさを感じていたけど、最近はまた別のことで肩身が狭い。

 

ワクチンは最初から打つつもりはなかった。特に情報収集したわけでもなく、今回のワクチンが今までのワクチンと違うなんて知識もなかったけど、打つという選択肢が自分の中には全くなかった。

 

インフルエンザワクチンも打ったことはない。5年ぐらい前に高熱が出て筋肉痛もあり、数日寝込んだけど自然に治った。たぶんインフルにかかったのだろう。病院に行ってないからわからないけど。

 

病気が流行るのも自然の摂理。自分も自然の一部なんだから、気をつけていてもかかる時はかかるだろう、ぐらいの認識。

 

ところが日本でも接種が始まって、ワクチンこそが救世主だという報道洪水には辟易する。それって本当なんですか?テレビは見なければいい。でもリアルで会う人たちもワクチンの話題ばかり。早く打ちたいね、打ったら安心だねと、全員が打つことに100%肯定的なので驚くばかりだ。

 

自分がこんなに少数派だったとは、気づかなかった。

 

ワクチン接種は任意ですよね?

強制じゃないですよね?

 

私は専門家でもないし、ワクチン反対派でもない。だから他の人の選択についてとやかく言うつもりはない。

 

ただ、ワクチンを打たない人の選択も尊重してほしいだけなのだ。お願いだから「努力義務を怠る非国民」的な圧力をかけないでほしい。

 

ヴィーガンだというと、「タンパク質はどうしてるの?」と必ず聞かれる。聞く人は自分が西洋栄養学を土台にして発言していることに気づかない。西洋栄養学から見たら、私なんて栄養失調だろう、こんなに元気なのに。

 

今回の集団免疫がどうのこうのという話。一般の人たちにまで、いつの間にかそういう共通認識の土台ができてしまったようだ。

 

だからワクチンを打たないという選択を許さない空気が生まれる。怖い怖い。いったいいつの時代なんだ。

「自分のことばかり考えるのはやめよう」

「みんなで打って、集団免疫を獲得しよう」

 

少数派でいると、何となく少数派の発信が目に留まるようになる。自分の意志は揺らがないから意識的に情報収集するつもりはなかったんだけど。

 

ファイザーの元副社長兼最高科学責任者マイケル・イードン博士の動画を偶然見た。「まだ治験中のワクチンだから絶対に打たないでください」と真摯に訴えていた。すごい勇気と使命感だと思う。どういうわけか、すぐに見れなくなってしまったけど。

 

人は誰でも今の自分の考え方の土台になった人、影響を受けた人がいると思うけど、私は稲葉俊郎医師や本間真二郎医師、内海聡医師らの書物から影響を受けている。

 

稲葉氏は私たちの体について「ものすごく精密で正確で完璧なスーパーシステム」を生まれながら持っていると言っている。

 

私はそのスーパーシステムがワクチンによって何らかの影響を受けるのが怖い。コロナにかかるリスクよりずっと怖いのだ。生きていれば病気になるのはある意味運命のようなもの。でも健康体に遺伝子ワクチンを打つのはどう考えても不自然なことだと私は思う。

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ヒルデガルトの言う「緑の力」、私たちが本来持っている生命の力

 

物事には多様な意見があって然るべきだし、専門家の間でも見解が分かれるのが当然なのに、今回のワクチンに関しては 推奨意見ばかりが報道されているのは、実に不気味だ。

 

打った方が安心だという人は打てばいいし、打ちたくないという人は打たなければいい。任意なんだから。それぞれの意志を尊重する、そんな世の中であってほしいと切に願う。

 

 ただでさえヴィーガンで生きづらいのに、最近はワクチンのことで周りから完全に浮いてしまって孤立気味。「ワクチン打たないこと黙っとこう」なんて思ったりしたけど、私のように同調圧力にやられてる人もいるかなと思って書きました。

 

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医師が教える新型コロナワクチンの正体 本当は怖くない新型コロナウイルスと本当に怖い新型コロナワクチン

 

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